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もうひとつの9・11 [リポート]

棺の中に持ち込みたい何枚かのCDのうちの1枚にまつわる話。

1960年代に中南米で盛んになった音楽運動「ヌエバ・カンシオン」(新しい歌)。
単なる商業的なフォルクローレではなく、真の意味での民衆音楽。
民謡や民俗音楽をそのベースにしながらも、当時の社会を見つめる鋭い視点によって
生み出された、素朴で力強く美しいメロディ。
チリにおけるその代表的的な歌い手が、ビクトル・ハラです。

君を想い出す、アマンダ   濡れた路地を
マヌエルの働いていた工場に   駆けていく君を

ひろがる微笑み  髪にかかる雨
なにひとつ気にせずに  逢いに行っていた
彼に、彼に、彼に・・・・・

それは5分前のこと  その5分に人生は永遠
仕事に戻るサイレンが鳴り  そして君は帰り道
すべてを輝かせる  その5分間が君を花ひらかせる

君を想い出す、アマンダ  濡れた路地を
マヌエルの働いていた工場に  駆けていく君を

ひろがる微笑み  髪にかかる雨
なにひとつ気にせずに  逢いに行っていた
彼に、彼に、彼に・・・・・

彼は山へと発った  なにも悪いことはしていなかったが
山へと送られた  そして5分間で  粉々にされた
仕事に戻るサイレンが鳴る  多くの人が戻らなかった  マヌエルも・・・・・

君を想い出す、アマンダ  濡れた路地を
マヌエルの働いていた工場に  駆けていく君を
『TE RECUERDO,AMANDA (アマンダの想い出)』 <訳詞:八木啓代>

チリ南部の貧しい農家に生まれ、常に民衆の側に立ったのが、ビクトル・ハラでした。
世界で初めて選挙によって誕生した社会主義政権、人民連合によるアジェンデ政権を
積極的に支持したのも、ビクトル・ハラでした。

起き上がれ  そして山をごらん
河の流れを操るきみ  魂に風を蒔いたきみ

起き上がれ  そして両手をごらん
育ちゆき  きみの兄弟たちの手を握るために

ともに行こう  血の絆に結ばれ
今日が明日に  つながるかもしれないときだから

我らを貧困のうちに支配するものから  解放してくれ
正義と平等の王国を我らに運んで来てくれ

風のように吹け  谷間の花の方へ
炎のように清めてくれ  ぼくの銃の銃身を

起き上がれ  そして両手をごらん
育ちゆき  きみの兄弟たちの手を握るために
ともに行こう  血の絆に結ばれ
今も  そして我らの死の時も
アーメン!  アーメン!
『PLEGARIA A UN LABRADOR (耕すものの祈り)』 <訳詞:八木啓代>

1973年9月11日、アメリカ合衆国に後押しされたピノチェト将軍率いるチリ軍は、
ついにクーデタを決行しました。首都サンチアゴをはじめ、チリ全土を軍が制圧し、
アジェンデを支持する人々は容赦なく命を奪われました。
その数日後、ギターを持ったこの「新しい歌」の歌い手も・・・。

ビクトル・ハラ


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海と葡萄酒と雪の細長い花びら [エトセトラ]

チリが生んだノーベル文学賞詩人、パブロ=ネルーダが母国を表現した言葉。

日本からはちょうど地球の反対側にある南米の国、チリ。
学生時代、何かの講義で紹介された記憶がある、一冊の本。
『戒厳令下チリ潜入記-ある映画監督の冒険』(岩波新書)

この本によって私は、初めて知りました。
1970年に世界で初めて選挙によって誕生した社会主義政権、アジェンデ政権のことを。
アメリカ資本の支配を排して銅山を国有化し、農地改革を断行して大土地所有制度を解体し、
年金・医療・教育など福祉政策を打ち出し、労働者の賃金を引き上げ、「自由と民主主義」を
掲げた社会主義建設にチリが向かっていたことを、知りました。

またこの実験が、1973年に軍事クーデタという形で葬り去られたことを知りました。
それは、アメリカ政府(CIA)や外国の巨大資本、及びそれと結びついた国内の有産階級が
さまざまな手段で政権に圧力をかけ、貧しく虐げられてきた人々の希望を無惨にも打ち砕いた
ということだったと。

その後17年間続いたピノチェト将軍の軍事独裁政権による激しい人権侵害のことを知りました。
軍事クーデタによってアジェンデ政権を支持する多くの人々が殺されたこと。独裁政権に反対する
多くの人々が拷問の末に虐殺されたり、強制収容所へ送り込まれたりしたこと。
その数は数万人にものぼること。捕らえられた人々が行方不明者として処理されていること。
祖国を捨て外国に亡命した人がたくさんいたこと。軍事独裁に対する批判が封殺され、多くの
チリ国民は長く自由が保障されなかったこと。

そんなことがあったことを、この本に出会うまで私は、まったく知りませんでした。

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険

  • 作者: G.ガルシア・マルケス
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1986/12
  • メディア: 新書


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蝸牛(かたつむり)よりも・・・ [リポート]

ラテンアメリカと言われて、私が思い浮かべるもの。
不思議な古代文明とフォルクローレ。
マヤ、アステカ、インカといった高度な文明とその遺跡の数々。
そして『花祭り』や『コンドルは飛んでゆく』♪といったお馴染みの音楽。

『コンドルは飛んでゆく』(El Condor Pasa)は、フォルクローレ・ファンでなくとも
メロディがすぐに浮かびますが、それはサイモン&ガーファンクルの功績でしょう。
もともとはペルーの作曲家ダニエル・アロミーア・ロブレスが1913年に発表したオペレッタ
「El Condor Pasa」に使われた器楽曲で、おそらくはインディオの人々に継承された伝統的な
旋律に手が加えられたもののようです(江波戸昭『世界の民謡めぐり』より)。

インカ帝国の皇帝の血を受け継ぐトゥパク・アマルが、スペインの圧政に対して
立ち上がったが、やがて捕らえられ処刑される。しかし、四つ裂きの刑でも彼の身体は
引き裂かれず宙に浮かんだ。インディオたちは、彼がインカの霊鳥コンドルとなって
よみがえり、アンデスの山並みに消えていったと信じた・・・?(諸説あり)。

I’d rather be a sparrow than a snail,
Yes,I would,
If I could,
I surely would.
Hmmm.
蝸牛よりも むしろ雀になりたい
そうだとも
もし なれるなら
そのほうがずっといい
Hmmm

サイモン&ガーファンクルの歌詞は少しやるせなく、
クリスティーナとウーゴが奏でる旋律はどこかもの悲しい。
いずれにしても、悲しみを深くたたえつつ、ノスタルジーを感じさせる音は、アンデス楽器の
音色のなせるわざだけではなく、コロンブス以後のスペイン人の侵略によって
虐げられ滅ぼされてきた先住民族の歴史が底流にあるから。

名もなきインディオたちの、声なき声。

コンドルは飛んでゆく~ベスト・

コンドルは飛んでゆく~ベスト・

  • アーティスト: クリスティーナとウーゴ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルインターナショナル
  • 発売日: 1998/06/29
  • メディア: CD


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ケルトの魂~その5 [エトセトラ]

いったいいつからだろう、アイルラアンドに関心を持ったのは・・・?

昨年末に『麦の穂をゆらす風』という映画を観ました。
アイルランドが、ようやく自由を手に入れようとしていた1920年代を描いた映画です。

12世紀にイングランド王ヘンリ2世(プランタジネット朝の初代の王であの『マグナ=カルタ』
を承認した有名なジョン王の父)がローマ教皇から与えられて以来、およそ700年以上も
イギリスはアイルランドを支配してきました。
かつてアパルトヘイト(人種隔離政策)を実施していた南アフリカのある政治家は、
「うちはアイルランドよりましだ」と言ったそうです。また日本が36年間にわたって植民地
として支配した朝鮮半島での政策は、言語・宗教・教育などイギリスのアイルランド支配を
モデルにしたという話を聞いたことがあります。
18世紀の産業革命によってイギリスの食糧基地となり、貧しい農民は小麦を輸出する
代わりにジャガイモを主食にしたこと。そして1840年代のジャガイモの胴枯れ病による
大飢饉で、100万人以上が餓死し、以後数百万人がアメリカへ移民したことなど、
この国の人々の悲しみの記憶は尽きません。

どこまでも果てしなく、悲しみを繰り返してきたアイルランドの歴史を語り出すと、
いつの間にか冗舌になり、自然と50分の授業になったことがありました。
ケルト音楽、『ガリバー旅行記』、「ボイコット」、ミッキー・マウス、タイタニック号、
J・F・ケネディ、ザ・ビートルズ・・・・・。

大天使ミカエルの崇拝が盛んであったアイルランドで人気のある名前が「マイケル」。
この「マイケル」の愛称「ミッキー」が、アメリカではアイルランド移民やカトリック、
ジャガイモを指した差別用語だったこと。そして、アイルランド移民の子孫であった
ウォルト・ディズニーが、人々から嫌われていた動物=ネズミに、あえてミッキーと
名づけ、それが今や世界中で愛されるキャラクターになったこと。
こんな話をすると生徒は目から鱗が落ちたような表情になりました。

世界史の面白さを痛感するのは、こういう瞬間なのでしょう!

しかし、歴史の因果を越えて、アイルランドの民族の悲劇は、私たちにとって
何がいちばん大切なのかを、切実に問いかけてくるのです。

アイルランドからアメリカへ―700万アイルランド人移民の物語

アイルランドからアメリカへ―700万アイルランド人移民の物語

  • 作者: カービー ミラー, ポール ワグナー
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1998/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

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明日に架ける橋 [モノローグ]

高校生ともなると、合唱には抵抗を感じるものですが、最初の赴任校は、学校祭で
市の文化会館を貸し切って合唱コンクールを行なうような熱の入れようでした。
3年生ともなると、最後の学校祭での優勝を目指して、本当にクラス一丸となって合唱に
取り組みます。
今思えば恥ずかしくなるのですが、選曲でクラスの担当の生徒と大喧嘩して、
担任の好みの曲を押しつけたという苦い思い出も。にもかかわらず、多くの生徒たちは
最後の学校祭で必死に練習してくれました。しかし、力及ばず結局は惨敗。本番終了後
に何人かの女の子が号泣していた光景も忘れられません。

その時、クラスで歌ったのが『明日に架ける橋』でした。

NHKのBS放送の『世紀を刻む歌』は、時代を超え、海を越え、歌い継がれる
歌に焦点をあてた番組です。
今晩はサイモン&ガーファンクルのヒット曲『明日に架ける橋』を、女優の緒川たまきさん
の旅とともに紹介していました。
60年代のアメリカ。公民権運動とヴェトナム戦争。そうした激動の時代のさなか、
人々の対立が絶えず、そして憎悪が渦巻く社会に、癒しを与えるように、
ポール=サイモンが生み出した曲が『明日に架ける橋』です。

アメリカで生まれたこの曲は、1970年代に遠く海を渡り、南の大地へ。
カヴァーしたアレサ=フランクリンの歌声とともに、アパルトヘイト(人種隔離政策)を
実施する南アフリカへ伝わります。荘厳で高みに登っていくあのメロディは、ゴスペル調
に歌われ、それが虐げられて神に祈るしかない黒人たちに受け容れられていった
そうです。そしていつしか、教会で讃美歌としても歌われ出すのです。

悩みを1人で抱え込まず、困難を乗り越えて。君のために私は、荒れた海に架かる橋の
ようにその身を横たえるから。自己犠牲さえも厭わず、静かに大切な人に呼びかける
この歌。やがて新しい旅立ちの時を迎える、そしてその時が来たんだ、という3番の歌詞は
アパルトヘイトを脱した南アフリカの黒人たちの未来を歌っているかのようだ、と。

誰かが誰かの架け橋になっているのかな、と思わせ、人と人をつなぐ歌であることに
改めて思いを馳せた1時間でした。この歌がこれからもずうっと、人々によって歌い継がれ
てゆくことを夢想しながら・・・。

久しぶりにCDを手にしました。

明日に架ける橋

明日に架ける橋

  • アーティスト: サイモン&ガーファンクル
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2003/12/17
  • メディア: CD


見よ、勇者は帰る [エトセトラ]

甲子園の高校野球といえば、夏の風物詩。グラウンドの熱戦ももちろんですが、
アルプススタンドの応援風景にもつい目がいきます。とりわけ炎天下で顔をまっ赤に
して汗をぬぐいながら演奏している吹奏楽部の生徒の必死の表情が印象的。

さて、吹奏楽は、甲子園での応援のように、志気を高め、味方を鼓舞し、勝利を
目指して激励するための演出効果としては絶大です。
そもそも吹奏楽は、オスマン=トルコ帝国の軍楽隊の影響を受けてヨーロッパで
発展したもの。では、吹奏楽が日本で初めて演奏されたのはいつか?

横田庄一郎著『西郷隆盛惜別譜』によれば、日本と西洋音楽との最初の出会いは、
1549年に来日したフランシスコ=ザビエル以後のキリスト教布教と南蛮貿易の時代
であり、2度目の出会いは、幕末の黒船来航の時期であった、ということです。
ペリー来航に先立って、1844年にオランダ国王が開国を促す親書を幕府に
もたらしましたが、この時に長崎に到着した使節団が軍楽隊を先頭に行進したという
記録があるとか。その後同じく国書を携えたアメリカのペリーも、ロシアのプチャーチンも
上陸の際には軍楽隊の演奏に続いての行進しました。

ペリー来航から20数年後、軍楽隊の演奏は日本人(薩摩藩の若者たち)の手に
よってなされるようになりました。

1877(明治10)年9月23日の夜、日本最後の国内戦争となった西南戦争最後の局面。
政府軍の軍楽隊は、城山に立てこもる、かつての維新の最大の功労者・西郷隆盛に対して、
惜別の曲を演奏したという記録。果たしてその曲は何だったのか・・・・・?
この劇的なドラマとそこに隠された謎を追ってゆくのが、『西郷隆盛惜別譜』です。

西郷隆盛 惜別譜

西郷隆盛 惜別譜

  • 作者: 横田 庄一郎
  • 出版社/メーカー: 朔北社
  • 発売日: 2004/03
  • メディア: 単行本


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ペンライトと鐘の音 [リポート]

もう2か月以上も前の話・・・。

公開当初は、職員室でも教室でも話題になっていた『ダ・ヴィンチ・コード』

昨年職場の同僚から単行本を借りて読み終えていた私も、映画には
興味津々。原作を読んでいる時から、「これは映画になることを意識して
いるな~」と思わずニンマリしていたことを思い出す。

そしてさらに興味をかき立てたのが、前売り券購入者にもれなく
プレゼントされるという「モナ=リザ・ペンライト」の存在。
この謎のアイテムを入手しようと、我が家の収集家が奔走。インターネットで
前売り券をゲットしたものの、残念ながらペンライトは・・・。

しかし、その翌日、失意の私にまるで天からの贈り物!
「先生、これ、うちに2つあるのでプレゼントしますよ」と本を貸してくれた同僚。
「あっ、ペンライトだっ!」
印刷室の電気を消し、スイッチを押し続けると、壁にモナ=リザの姿が
浮かび上がる。驚きの声に誘われて同僚が次から次へと見に来る始末。
まるで欲しかったおもちゃが手には入って、見せびらかして得意になっている
子どもだった、私。

イエスとキリスト教の授業では、自分の知識と教養のなさに辟易してしまいます。
たとえ信仰をもたなくても、世界史教師であるからには、イエスの生涯や聖書の物語を
格調高く生徒に話して聞かせたいものですが、どうも上手くいきません。
キリスト教は、世界史では避けては通れないものなのに、研究不足の自分に
いつもながら自己嫌悪です。
先日の授業でも、『ダ・ヴィンチ・コード』の話をしていたら、何だかわからないうちに
最後の晩餐から三位一体説まで一気に飛んでしまいました。

数年前に『聖地のクリスマス音楽』というCDを見つけました。
このCDには、ローマ=カトリック教会の聖歌のみならず、ギリシア正教会や
アラビア語の聖歌、古アルメニア語やアラム語による聖歌などが収録されています。
またベツレヘム生誕教会のギリシア正教会の礼拝堂の鐘の音が
冒頭と最後に入っています。キリスト生誕の地と言われている場所に
313年のミラノ勅令でキリスト教を公認した、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝
が礼拝堂を建設し、のちに6世紀の東ローマ(ビザンツ)皇帝ユスティニアヌス帝に
よって再建されたもののようです。
CDのタイトルからの想像を裏切るかのような、低音で重く響きわたる鐘の音が
ズシリとこちらに迫ります。
かつて授業で生徒に聴かせた時には、教室がシーンと静まりかえりました。
キリスト教2000年の歴史の重さが感じられたからなのでしょうか。

ダ・ヴィンチ・コード(上)

ダ・ヴィンチ・コード(上)

  • 作者: ダン・ブラウン
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2006/03/10
  • メディア: 文庫


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耳を澄ませば・・・ [モノローグ]

古代の人々の耳には、どんな音が届いていたのだろう?
と、ふと考えることがあります。風が吹き樹木の葉や枝がすれる音。
雨が地面を打ちつける音。雷。川の流れる音。波の音。
水滴が落ちる音。炎が燃えさかる音。岩が崩れる音。地響き。
自然がつくりだす音の他には、動物の鳴き声くらい?

道具をつくり、それを使うようになって、材料と道具が奏でる音が生まれ、
初めて人工的な音が生まれましたが、それでもほとんど機械的な音は
存在しなかった・・・。

それに比べて、私たちの生活は朝から晩まで音だらけ。音の流れの中で
毎日ゆらゆら漂っているかのようです。

GW中に関西に足を伸ばしてきました。観光というよりも、日常からちょっと
遠くへ逃げ出した、大人の散歩でしょうか。
美術館と博物館・資料館を、2日間で4か所まわってきました。現代美術、浮世絵、
作家の書斎、陶磁器と、見るものはすべて違いました。
実際には来館者の会話や靴音が耳に届いていたのですが、4か所とも
見学中は何とも言えない静寂に身をおくことができました。

それは、ただ視覚を使って、聴覚を使わなかったということではありません。
浮世絵からは、江戸のにぎわいや遊女のため息が。また陶磁器からは、
陶土をこねたり、窯の火の弾ける音が、聞こえたような気がします。

カナダの作曲家・音楽環境研究家、R・マリー・シェーファーは、
「サウンドスケープ」(音の環境)という概念を提唱し、それをより良くするために
耳を澄ませ、聴き方を学び、世界のサウンドスケープをデザインしていこうと
活動しています。

音や音楽を、能動的に聴き、自分たちの心理や生活との関わりについて、
もっと注意深くなっていきたいと、改めて思います。

サウンド・エデュケーション

サウンド・エデュケーション

  • 作者: R.マリー シェーファー
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 1992/04
  • メディア: 単行本


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教室で銅鐸を [エトセトラ]

今年は久々に日本史の授業も担当。
古代史の間は、教室に持ち込むグッズには事欠きません。
打製石器、黒曜石、古代米(赤米・黒米)、イネ(稲穂)、麦、金印、埴輪、
繭玉、生糸、論語など。

銅鐸もそのひとつ。
悪霊をはらったり、豊作を祈るための祭りで使用されたらしいのですが、
よくわからない面も・・・。古代史は謎が多いから興味が尽きない!

私の趣味の教材収集には、強力なサポーターがいます。
数年前に、どうしても翌日の授業で埴輪を見せたくなり、電話。
「もしもし、埴輪買ってきてくれる?」
「はい、了解」
某○○ハンズの博物館コーナーへ行き、「埴輪くださーい」と言って
出てきたものに対し、「それは埴輪じゃありません。土偶というものです!」
「埴輪というのは・・・」と店員さんに指導を入れるくらいの教材ゲッターぶり。

彼女にとっては銅鐸をゲットするのもたやすいこと。
「銅鐸が欲しいなあ」と言ってから、4日後には宅急便が到着。
滋賀県野洲町の銅鐸博物館から復元銅鐸のお取り寄せ。
日本最小の12.5㎝の銅鐸を実物大で復元したレプリカが、目の前に。
銅76%、錫16%、鉛8%の比率で鋳造された銅鐸の内側には、棒が吊り下げ
られており、上の部分を持って揺らすと、何とも言えない「キ~イ~ン」という
長く残る金属音が響きます。

我が家の強力なサポーターのおかげで、弥生時代の授業の時は、
いつも教室に古代の音色が響きます。



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頑張れ、ヤンキー! [リポート]

現在の星条旗。独立13州の星条旗。星条旗のデザイン変遷の切手シート。
紅茶。独立宣言書のレプリカ。1ドル紙幣。そして『ヤンキー・ドゥードル』
アメリカ独立革命の授業で教室に持っていくものは以上。

軽快な曲調の『ヤンキー・ドゥードル』は、もともとイギリス軍が植民地アメリカの
人々を馬鹿にして歌ったものです。ただ曲の起源ははっきりしません。
「ヤンキー」はインディアン(正しくはネイティヴ・アメリカンですね)の言葉で
卑怯者を意味し、「ドゥードル」も do little (まぬけ野郎)という侮辱語。
江波戸昭の『世界の民謡めぐり』によれば、かつてヴァージニアの植民者が
インディアンと戦っていた時、いっこうに手を貸してくれないニュー・イングランド
(いわゆる北部)の人々のことを「ヤンキー」と呼んだとか。

独立戦争時、植民地側は武器や装備も貧弱で、兵士は「ミニットマン」
(1分で支度ができる。それくらい装備がなかった)と呼ばれていましたから、
「ヤンキー、頑張れよ!その調子、足並み揃えて、そうすりゃ女の子にも
もてるぞ・・・」とイギリス兵からからかわれるのも無理はありません。

Yankee Doodle went to town,
a-riding on a pony;
Stuck a feather in his cap
and called it macaroni.
[ Chorus ]
Yankee Doodle Keep it up,
Yankee doodle dandy.
Mind the music and the step .
And with the girls be handy!

Father and I went down to camp
along with Captain Good-win,
and There we saw the men and
boys as thick as hasty puddin !
[ Chorus ]

There was Colonel Washington,
upon a strapping stallion,
A-giving orders to his men,
I guess there was a million.
[ Chorus ]

しかしながら、1775年4月のレキシントン・コンコードの戦いでイギリス軍と
対等に戦った植民地軍は、その後ジョージ=ワシントンを総司令官として
7年もの間苦しい独立戦争を戦い抜き、ついに1781年10月にヨークタウン
の戦いで決定的な勝利をあげました。この時、高らかに歌われたのが
『ヤンキー・ドゥードル』です。もうこの歌はすっかり勝利の歌、アメリカ人の
愛国歌になっていました。
1783年のパリ条約でアメリカ合衆国は正式に独立が承認されます。

そして、この歌、日本では『アルプス一万尺』という替え歌に姿を変えます。
 ♪アルプス一万尺  小槍の上で  アルペン踊りを  さあ踊りましょ
  ランラランラ ランランラ ランラランラ ランランラ・・・
京都大学の山岳部の学生が作詞し、9番まで歌詞があるらしいのですが、
なぜ『ヤンキー・ドゥードル』のメロディが使われたのか・・・。

またこのメロディは、中国の歴代王朝の覚え歌にもなっています。
♪殷周東周春秋戦国   秦前漢新後漢・・・    

歌い手が変わり、メロディが海を渡り、歌詞が変わっても、伝えられていく。
天国にいる作曲者は、まさかこんなことになっているとは、
と思っているでしょうか?

知っておきたいアメリカ史1001

知っておきたいアメリカ史1001

  • 作者: ジョン・A. ギャラティ
  • 出版社/メーカー: 丸善
  • 発売日: 1993/04
  • メディア: 単行本

アメリカン・ミュージックの原点

アメリカン・ミュージックの原点

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: インディペンデントレーベル
  • 発売日: 2005/03/27
  • メディア: CD


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