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英雄か、テロリストか・・・ [リポート]

南北戦争(1861~65年)はアメリカでは、「Civil War」(市民戦争)と呼ばれます。
エイブラハム=リンカン大統領という傑出した指導者のもとで、アメリカの歴史上最大の約62万人の
犠牲者を出しながらも、国家分裂の危機を乗り越えた国内戦争が、南北戦争でした。
戦争中のリンカンの奴隷解放宣言や、「人民の、人民による、人民のための政治・・・」で有名な
ゲティスバーグ演説、さらに戦争終結直後のリンカンの暗殺など、世界史の授業では話題に事欠かない
項目です。

たいてい南北戦争の授業のときは、教室には、南軍旗やストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』や
リンカンの演説原稿のコピーや暗殺で使われたデリンジャー銃のレプリカなどを持ち込みますが、
やはり音にもこだわります。
かつてALTのアメリカ人講師に授業に参加してもらい、南北戦争についてQ&Aをやりとりしたり、
リンカン大統領になったつもりでゲティスバーグ演説を英語で朗読してもらったりもしました。

もちろん音楽もあります。

黒人奴隷の過酷な労働や差別を取り扱う場合は、歌詞をじっくり読みながら黒人霊歌を聴かせた
こともありましたが、奴隷制の是非が南北対立を深め、やがて戦争になったという側面から語れる材料の
ひとつとして、『リパブリック賛歌 (Battle Hymn of the Republic)』があります。

この歌はもともと、1856年頃にウィリアム=ステッフという人物によって作曲された賛美歌で、
1862年にジュリア=ウォード=ハウという女性詩人が歌詞をつけたと言われています。
戦争中に北軍の愛唱歌となり、リンカン大統領も聴いていたようです。

Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord,
He is trampling out the vintage where the grapes of wrath are stored,
He hath loosed the fateful lightning of His terrible swift sword,
His truth is marching on.
Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
His truth is marching on.

私は到来する主の、栄光を見た
神の怒りの葡萄が、貯めてあるところで
主は、収穫物を踏み潰す
主は、恐怖の剣を振りかざし、運命の稲妻を落とす
主の信念は進撃してゆく
主に栄光あれ!(繰り返し)
主の信念は進撃してゆく

ところが、同じメロディで異なる歌詞が存在します。
それが『ジョン=ブラウンの屍 (John Brown’s Body)』です。

John Brown’s Body lies a-moldering in the grave,
(3回繰り返し)
But his soul goes marching on.
Glory! Glory! Hallelujah!(3回繰り返し) 
But his soul goes marching on.

ジョン=ブラウンの屍は墓の中で朽ちかかっている(3回)
しかし、彼の魂は勝ち誇って進む
グローリー グローリー ハレルヤ!(繰り返し)
彼の魂は勝ち誇って進む

これは奴隷解放論者のジョン=ブラウン(1800~59年)を称えて、歌われ、広まったものです。
奴隷解放運動に身を捧げ、黒人奴隷の蜂起によって奴隷制度を打ち破ろうとしたブラウンは、
南北戦争を始めさせた男、奴隷解放の英雄として評価される一方、
奴隷制擁護派の白人を惨殺(1856年のポタワトミーの虐殺)し、1859年10月にはヴァージニアの
ハーパーズ=フェリーにある連邦政府の武器弾薬庫を襲撃して奴隷の蜂起を呼びかけ
逮捕・処刑されるという、いわばテロリストの走りとして否定される存在でもあります。
南部の住民は彼を悪魔のように呪いましたが、リンカンでさえ彼を「妄想にとりつかれた狂信者」と呼び
ました。果たしてジョン=ブラウンは英雄的殉教者か、狂人か、テロリストか。

彼は1859年の12月に反逆罪で絞首刑になりますが、歌詞のJohn Brown’s Bodyは、
刑に処されて吊された彼の姿を表しているのでしょう。またその処刑には多くの民兵が立ち会った
ようですが、その中に後にリンカンを暗殺するジョン=ブースもいたという話もあります。

この歌はアメリカの民謡・愛国歌として今なお親しまれていますが、海を渡って日本にも伝えられました。
明治時代には賛美歌として歌われ、また新たな歌詞がつけられて『おたまじゃくしは蛙の子』や
『ともだち讃歌』となって今も歌い継がれています。
そして、某有名家電量販店のCMソングのメロディとしても・・・。 


The Civil War - Traditional American Songs And Instrumental Music Featured In The Film By Ken Burns: Original Soundtrack Recording

The Civil War - Traditional American Songs And Instrumental Music Featured In The Film By Ken Burns: Original Soundtrack Recording

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Nonesuch
  • 発売日: 1990/12/29
  • メディア: CD



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歴史は繰り返す [リポート]

ベートーヴェンが捧げるはずであった献辞は、やはり失われる運命であったのか。

1804年、国民投票により34歳で皇帝となったナポレオン。
翌1805年のアウステルリッツの三帝会戦、さらに1806年のイエナ・アウエルシュテットの戦いで
オーストリア・ロシア・プロイセンを次々と撃破し、ほぼ西ヨーロッパ全域を支配下におく。
1806年にはイギリスの経済封鎖を狙って、イギリスと大陸諸国の通商を禁止するいわゆる
大陸封鎖令(ベルリン勅令)を発令。その勢威は頂点に達したかに見えたが、しかし・・・。

フランス革命の流血の中から手にした「自由」「平等」を守るため、そして諸国民を圧政から解放する
ための革命戦争は、いつしか皇帝ナポレオンの独裁権力による侵略戦争へと姿を変えていった。

1812年6月、大陸封鎖令に従わないロシアに対し、ナポレオンはおよそ60万人の大軍を率いて
ロシア遠征を敢行。ところが、ロシア側は巧妙に決戦を避けながら退却を繰り返し、ナポレオン軍を
領内に深く誘い込む。遠征軍はフランスと支配下諸国の混成部隊で統率も不完全であり、脱走兵も
相次いだ。9月のボロディノの戦いではロシア軍に決定的な打撃を与え、ついにモスクワを占領したが、
そこには火を放たれて廃墟となった街が残されていただけであった。
ロシアの焦土作戦で補給のできないナポレオン軍は、冬将軍の到来で飢えと寒さに悩まされ、
10月には退却を余儀なくされた。ロシア軍はこれを見て反攻を開始。農民ゲリラもナポレオン軍に
襲いかかった。12月にニーメン川を渡った時点でナポレオン軍は何と5000人に減っていたという。
この大敗北をきっかけとして、ナポレオンは没落の階段を転げ落ちる。
1813年のライプツィヒの戦い(諸国民戦争)で敗れたナポレオンは皇帝を退位し、
翌年エルバ島に流され、その野望は消え去った。

ロシアではナポレオンの遠征を、「1812年の祖国戦争」と呼ぶ。
この戦争は文豪トルストイの小説『戦争と平和』に描かれるとともに、国民的作曲家チャイコフスキーに
よって序曲『1812年』として音楽でも表現された。
華麗なオーケストレーション、戦闘を彷彿させる大砲の轟音、平和への祈りを象徴する聖歌や鐘の音、
民衆の声なき声を表す民謡の調べ。そして、フランス国歌『ラ=マルセイエーズ』とロシア国歌の旋律を
交互に強弱をつけて繰り返し、両軍の攻防を巧みに表現する・・・。
他国の侵略から国土を防衛した戦争の記憶。
チャイコフスキーは、五線譜の上で音符によってこれを再現した。

ナポレオンのロシア遠征からおよそ130年後。
1941年6月、独ソ不可侵条約を破って突如ドイツ軍がソ連領内に侵攻し、独ソ戦が始まる。
当初ドイツ軍の攻勢が圧倒的であったが、同年12月、冬将軍のためにドイツ軍の進撃が止まった。
 (※第2次世界大戦の開戦以来、ヨーロッパを席巻したドイツ軍の進撃が初めてストップした時、
   地球の裏側ではその同盟国が太平洋で戦争を開始した・・・)
1942年8月からその翌年の2月にかけて戦われた凄惨な市街戦、スターリングラードの攻防戦で
大敗北を喫したドイツ軍は、第2次世界大戦において以後劣勢に立たされ、
ヒトラーの野望はついえることになる。

やはり、やはり歴史は繰り返される・・・。


チャイコフスキー:1812年

チャイコフスキー:1812年

  • アーティスト: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,ベートーヴェン,チャイコフスキー,マゼール(ロリン)
  • 出版社/メーカー: ソニーレコード
  • 発売日: 1996/10/21
  • メディア: CD



叩く鍵盤、怒る指 [リポート]

20代の後半に新婚旅行で訪れたパリ。
名所旧跡をめぐりつつ、なぜか惹かれるものがあって、パリ20区の
ペールラシェーズ墓地へと足を運んだ。
社会学の祖オーギュスト=コント、エジプトの神聖文字を解読したシャンポリオン、
シャンソン歌手のエディット=ピアフ・・・。著名人の墓碑銘をたどりながら、静かに歩く。
その中にフレデリック=ショパンの名を見つけた。

「ピアノの詩人」ショパン。
父はフランス人、母はポーランド人。
生まれ故郷、祖国ポーランドは、18世紀末にロシア、プロイセン、オーストリアという周囲の強国に
結局3度にわたって分割され、地図上から消滅していた。

1789年、フランス革命勃発。
革命によって、自由・平等の旗がフランスから全ヨーロッパの人々の手へともたらされたが、
やがてナポレオン=ボナパルトが帝位につき、ヨーロッパはその支配下に入った。
ポーランドも一部ロシアから切り離され、ワルシャワ大公国としてフランス皇帝の従属国となる。
1814年、ナポレオン没落後に開かれたウィーン会議。
ポーランド王位はロシア皇帝のもとなり、再びロシアの支配に屈することとなる。
ショパンはその直前、1810年にワルシャワで誕生している。

「革命は人類の敵」と言い切るオーストリア宰相メッテルニヒを中心とした、列強の保守反動の
ウィーン体制が、ヨーロッパ各地の自由・平等・独立を求める民衆の運動を弾圧していた。
しかし、1830年、フランスで七月革命が勃発。
縦2.6m、横3.25mのドラクロワの『民衆を導く自由の女神』のドラマティックな画面のように
人々が立ち上がった。この動きは、オランダ統治下の南ネーデルラントをベルギーとして独立させ、
ドイツやイタリアでも民衆が蜂起。そしてポーランドでも火の手が上がった。
1830年のワルシャワ11月蜂起。市民と軍隊はロシア軍をいったん退け、臨時政府を樹立させたが、
翌年9月にはロシア軍の反攻によって武装蜂起は完全に鎮圧され、ワルシャワは占領された。

演奏旅行のため、故国をあとにし、ウィーン、そしてパリへと向かう旅の途上で、
ショパンはワルシャワ蜂起とその失敗の知らせを耳にする。
彼は政治的な主義主張は明確に持たなかったとされるが、ポーランドへの愛着と祖国の実情に
対する憂いだけは、誰よりも強くあったようだ。

もう引き返すことのできぬ道。
ロシアの軍靴に踏みにじられた祖国。焼け落ちた市街地に横たわる死体。
親しい者たちの気になる安否。自分の無力さ。ともに銃をとることができなかった後ろめたさ。
悲しみ。怒り。焦り。あきらめ。苦しみ。
さまざまな感情が、腕に、手首に、指先に、込められ、鍵盤を叩く。

練習曲第12番 ハ短調 『革命』 (「革命のエチュード」)

わずか3分足らずの曲だが、激しいパッセージの繰り返し。
20歳の若きピアニストが、祖国の革命失敗の絶望を動機として作曲したというのは、もはや伝説的。
ただ二度と祖国には戻ることのない、彼の39年の短くも激しい生涯を暗示させるような音にも、
またその後のポーランドの苦闘の歴史を象徴するような音にも聴こえる。

1849年、数多くの憂愁の調べを遺し、ショパンは永遠の眠りにつく。遺体はパリの
ペールラシェーズ墓地に埋葬されたが、彼の遺志により心臓だけがポーランドへ帰った。

ルーブル美術館では、やはりドラクロワの描いたショパンの肖像画も目にすることができる。
彼の視線の先にはポーランドの空があるのだろうか、それとも・・・。


別れの曲~小犬のワルツ/ショパン:名曲集

別れの曲~小犬のワルツ/ショパン:名曲集

  • アーティスト: ショパン,バレンボイム(ダニエル),ガヴリーロフ(アンドレイ),プレトニョフ(ミハイル),リヒテル(スヴャトスラフ),ブーニン(スタニスラフ),ルイサダ(ジャン=マルク),ティボーデ(ジャン=イヴ)
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2007/09/05
  • メディア: CD



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夢は勇気から・・・ [リポート]

歴史では、弱き立場、虐げられた人々が連帯・団結することで、社会や時代を下から変革
しようとするパワーが生み出されることがあります。
アメリカ独立やフランス革命はまさにその典型と言えるでしょう。
18世紀後半から、大西洋をはさんでヨーロッパとアメリカ大陸は、まさに革命の世紀に突入
します。民衆は自分たちの心の拠り所、また連帯の証を、歌や音楽に求めます。
のちにフランス国歌となる「ラ・マルセイエーズ」などもそうした心理から誕生したものでしょう。

初のアフリカ系の血をひく大統領が就任してから、1か月がたとうとしています。
200万人もの大群衆を前に宣誓したバラク・オバマ氏。彼の就任演説は、昨年11月の
大統領選挙の勝利演説ほど劇的ではなかったという批評もありましたが、弱者を励まし、
国民と同じ目線に立った言葉で、危機を乗り越えようという決意が感じられました。
就任式が行なわれた連邦議会の議事堂から約4キロ離れたリンカーン記念堂。
オバマ大統領が敬愛して止まない、第16代大統領エイブラハム・リンカーンが南北戦争中に
奴隷解放宣言を発表してから100年後の1963年。
やはりオバマ大統領が尊敬する黒人解放の父、キング牧師が I Have a Dream・・・
(私には夢がある・・・)と8月28日に演説した場所。

キング牧師らが指導した公民権運動。全米から続々と首都ワシントンに人々が集まり、
「今すぐ黒人差別の撤廃!」「白人と平等の仕事を!」などとプラカードを掲げ、
行進する黒人たち。これに賛同する白人たちの姿も。
人々は一緒に手に手をとって歩きながら、自然とこの歌を口ずさみました。

We Shall Overcome,
We Shall Overcome,
We Shall Overcome Someday.
*Oh,deep in My Heart
  I do Believe,
 We Shall Overcome Someday.

We’ll Walk Hand in Hand,
We’ll Walk Hand in Hand,
We’ll Walk Hand in Hand Someday.
*(繰り返し)

We Shall Live in Peace,
We Shall Live in Peace,
We Shall Live in Peace Someday.
*(繰り返し)

The Whole Wide World Around,
The Whole Wide World Around,
The Whole Wide World Around Someday.
*(繰り返し)

We Are Not Afraid,
We Are Not Afraid,
We Are Not Afraid Today.
*(繰り返し) 

私たちはうち勝つ
私たちはいつか勝だろう

私たちは手に手をとって歩く
私たちはいつの日か手に手をとって共に歩くだろう

私たちは平和に生きる
私たちはいつの日か平和に生きるだろう

この広い世界中
いつかこの広い世界中で

私たちは恐れない
今では何も恐れない

私は心の奥底でそう信じている
いつかきっと・・・

賛美歌の元歌に新しい詩が加わり、やがてフォーク歌手ピート・シーガーらの歌を通して
全米に広まります。
We Shall Overcome (勝利を我等に)は、アメリカだけではなく、世界中の弱き立場に
おかれた人々や虐げられた民衆が、権力や不当な支配者に対抗して、立ち上がり,
行動を起こす時のテーマソングとなりました。

歴史では、弱き立場、虐げられた人々が連帯・団結することで、社会や時代を下から変革
しようとするパワーが生み出されることがあります。



ウィ・シャル・オーヴァーカム:ザ・シーガー・セッションズ(アメリカン・ランド・エディション)(DVD付)

ウィ・シャル・オーヴァーカム:ザ・シーガー・セッションズ(アメリカン・ランド・エディション)(DVD付)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 発売日: 2007/07/11
  • メディア: CD



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万里の波濤を越えて [リポート]

どこで見知ったものなのか、「伊東マンショ」という名が、なぜか気になっていた小学生の頃。
その気になり具合が大人になっても続いているから不思議です。

戦国時代、九州のキリシタン大名であった有馬晴信・大村純忠・大友義鎮(宗麟)が、
イエズス会巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーニの勧めによって、カトリックの最高権威である
ローマ教皇のもとへ4名の少年(いずれも13~14歳くらい)を派遣しました。
これが天正遣欧使節です。

伊東マンショ、千々石 ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの4名を中心とする使節団は、
織田信長が本能寺で倒れる1582年に日本を発ち、中国のマカオ、東南アジアのマラッカ、
インドのゴアを経て、アフリカのモザンビーク、遥か喜望峰をめぐって、大西洋からヨーロッパに
到達、ポルトガル、スペイン、イタリアの各都市を順にまわり、帰路も同じように万里の波濤を
越えて、豊臣秀吉が全国統一をする1590年に帰国するまで、往復8年の歳月をかけた
大旅行をやってのけました。

彼らは遠い異国の地であるヨーロッパの行く先々で熱烈な歓迎を受けたとされていますが、
ルターやカルヴァンらの宗教改革に端を発して、カトリック対プロテスタントの激しい宗教対立
の嵐が吹き荒れる16世紀後半、劣勢を挽回したいカトリック側の意図もそこには見え隠れ
しています。極東の小さな島国にもカトリックは広がっている・・・、と。

太陽の沈まぬ国、スペインの国王フェリペ2世(当時はポルトガル王位も兼ねて、世界で最も
広大な地域を支配していた)やローマ教皇グレゴリウス13世(古代ローマのカエサルによる
ユリウス暦を修正してグレゴリオ暦を採用したことで有名)に謁見した4名の少年たち。
ルネサンス・大航海時代・宗教改革によって社会のあり方や人々の価値観が大きく変容し、
激動の時代を迎えていた当時のヨーロッパの風景は、
九州の田舎で育った4人の少年たちの眼にはどのように映ったのでしょうか。

1591年3月、京都の聚楽第で、使節一行は関白・豊臣秀吉に謁見しました。
世界地図や地球儀、時計、アラビア馬、甲冑、油絵などを献上した後、彼らはヨーロッパから
持ち帰った楽器で西洋音楽を演奏した、と宣教師ルイス・フロイスは伝えています。

およそ400年前に、時の権力者・秀吉が耳にした西洋音楽とは・・・?

天正遣欧使節

天正遣欧使節

  • 作者: 松田 毅一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/01
  • メディア: 文庫


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終わりなき歌 [リポート]

チリの「新しい歌」の歌い手、ビクトル・ハラは、コロンブス以後にこの大地に我がもの顔で
乗り込んできて、長く支配を続けている人間に対して、声を上げて訴えました。

いま、ぼくの求めているのは  子どもや兄弟たちと共に暮らすこと
時代の中でみんなでつくりあげていく春
ぼくは脅しにはおびえはしない
貧困の主よ  希望の星はこれからもぼくらのものなのだ・・・
『VIENTOS DEL PUEBLO (民衆の風)』<訳詞:八木啓代>

彼は弱き民衆にも力強く呼びかけました。

鉄条網を切れ!  鉄条網を切れ!
この土地は俺たちのもの
そして君のもの、あいつのもの
どこにでもいるペドロや  マリアやファンやホセのものだと・・・
『A DESALAMBRAR! (鉄条網を切れ!)』<訳詞:八木啓代> 

平和に生きる権利は決して誰にも消せないことを、海の向こうのヴェトナムの光景にも
重ね合わせて、叫びました。

ぼくらの歌は  純粋な愛の歌
鳩舎の野鳩、オリーブの畑のオリーブ
それは普遍的な歌  勝ちとらせる鎖
平和に生きる権利を
『EL DERECHO DE VIVIR EN PAZ (平和に生きる権利)』<訳詞:八木啓代> 

1973年9月11日、チリで軍事クーデタ勃発。アジェンデ大統領はラジオを通して
国民に団結と自由な社会の実現を訴えるが、爆撃のさなか死亡。
翌日逮捕され、チリ・スタジアムに連行されたビクトル・ハラは、人々を勇気づけるために
人民連合賛歌である『ベンセレーモス』を歌うが、怒った軍人たちによってギターを
弾けぬように手を撃ち抜かれ、そして背後から機関銃で撃ち殺された。35歳。

働く貧しい人々の側に常に立った「新しい歌」の歌い手は、
同月18日に死体置場で無惨な姿で発見されました。

禁じられた歌―ビクトル・ハラはなぜ死んだか

禁じられた歌―ビクトル・ハラはなぜ死んだか

  • 作者: 八木 啓代
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 1991/05
  • メディア: 単行本


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もうひとつの9・11 [リポート]

棺の中に持ち込みたい何枚かのCDのうちの1枚にまつわる話。

1960年代に中南米で盛んになった音楽運動「ヌエバ・カンシオン」(新しい歌)。
単なる商業的なフォルクローレではなく、真の意味での民衆音楽。
民謡や民俗音楽をそのベースにしながらも、当時の社会を見つめる鋭い視点によって
生み出された、素朴で力強く美しいメロディ。
チリにおけるその代表的的な歌い手が、ビクトル・ハラです。

君を想い出す、アマンダ   濡れた路地を
マヌエルの働いていた工場に   駆けていく君を

ひろがる微笑み  髪にかかる雨
なにひとつ気にせずに  逢いに行っていた
彼に、彼に、彼に・・・・・

それは5分前のこと  その5分に人生は永遠
仕事に戻るサイレンが鳴り  そして君は帰り道
すべてを輝かせる  その5分間が君を花ひらかせる

君を想い出す、アマンダ  濡れた路地を
マヌエルの働いていた工場に  駆けていく君を

ひろがる微笑み  髪にかかる雨
なにひとつ気にせずに  逢いに行っていた
彼に、彼に、彼に・・・・・

彼は山へと発った  なにも悪いことはしていなかったが
山へと送られた  そして5分間で  粉々にされた
仕事に戻るサイレンが鳴る  多くの人が戻らなかった  マヌエルも・・・・・

君を想い出す、アマンダ  濡れた路地を
マヌエルの働いていた工場に  駆けていく君を
『TE RECUERDO,AMANDA (アマンダの想い出)』 <訳詞:八木啓代>

チリ南部の貧しい農家に生まれ、常に民衆の側に立ったのが、ビクトル・ハラでした。
世界で初めて選挙によって誕生した社会主義政権、人民連合によるアジェンデ政権を
積極的に支持したのも、ビクトル・ハラでした。

起き上がれ  そして山をごらん
河の流れを操るきみ  魂に風を蒔いたきみ

起き上がれ  そして両手をごらん
育ちゆき  きみの兄弟たちの手を握るために

ともに行こう  血の絆に結ばれ
今日が明日に  つながるかもしれないときだから

我らを貧困のうちに支配するものから  解放してくれ
正義と平等の王国を我らに運んで来てくれ

風のように吹け  谷間の花の方へ
炎のように清めてくれ  ぼくの銃の銃身を

起き上がれ  そして両手をごらん
育ちゆき  きみの兄弟たちの手を握るために
ともに行こう  血の絆に結ばれ
今も  そして我らの死の時も
アーメン!  アーメン!
『PLEGARIA A UN LABRADOR (耕すものの祈り)』 <訳詞:八木啓代>

1973年9月11日、アメリカ合衆国に後押しされたピノチェト将軍率いるチリ軍は、
ついにクーデタを決行しました。首都サンチアゴをはじめ、チリ全土を軍が制圧し、
アジェンデを支持する人々は容赦なく命を奪われました。
その数日後、ギターを持ったこの「新しい歌」の歌い手も・・・。

ビクトル・ハラ


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蝸牛(かたつむり)よりも・・・ [リポート]

ラテンアメリカと言われて、私が思い浮かべるもの。
不思議な古代文明とフォルクローレ。
マヤ、アステカ、インカといった高度な文明とその遺跡の数々。
そして『花祭り』や『コンドルは飛んでゆく』♪といったお馴染みの音楽。

『コンドルは飛んでゆく』(El Condor Pasa)は、フォルクローレ・ファンでなくとも
メロディがすぐに浮かびますが、それはサイモン&ガーファンクルの功績でしょう。
もともとはペルーの作曲家ダニエル・アロミーア・ロブレスが1913年に発表したオペレッタ
「El Condor Pasa」に使われた器楽曲で、おそらくはインディオの人々に継承された伝統的な
旋律に手が加えられたもののようです(江波戸昭『世界の民謡めぐり』より)。

インカ帝国の皇帝の血を受け継ぐトゥパク・アマルが、スペインの圧政に対して
立ち上がったが、やがて捕らえられ処刑される。しかし、四つ裂きの刑でも彼の身体は
引き裂かれず宙に浮かんだ。インディオたちは、彼がインカの霊鳥コンドルとなって
よみがえり、アンデスの山並みに消えていったと信じた・・・?(諸説あり)。

I’d rather be a sparrow than a snail,
Yes,I would,
If I could,
I surely would.
Hmmm.
蝸牛よりも むしろ雀になりたい
そうだとも
もし なれるなら
そのほうがずっといい
Hmmm

サイモン&ガーファンクルの歌詞は少しやるせなく、
クリスティーナとウーゴが奏でる旋律はどこかもの悲しい。
いずれにしても、悲しみを深くたたえつつ、ノスタルジーを感じさせる音は、アンデス楽器の
音色のなせるわざだけではなく、コロンブス以後のスペイン人の侵略によって
虐げられ滅ぼされてきた先住民族の歴史が底流にあるから。

名もなきインディオたちの、声なき声。

コンドルは飛んでゆく~ベスト・

コンドルは飛んでゆく~ベスト・

  • アーティスト: クリスティーナとウーゴ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルインターナショナル
  • 発売日: 1998/06/29
  • メディア: CD


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ペンライトと鐘の音 [リポート]

もう2か月以上も前の話・・・。

公開当初は、職員室でも教室でも話題になっていた『ダ・ヴィンチ・コード』

昨年職場の同僚から単行本を借りて読み終えていた私も、映画には
興味津々。原作を読んでいる時から、「これは映画になることを意識して
いるな~」と思わずニンマリしていたことを思い出す。

そしてさらに興味をかき立てたのが、前売り券購入者にもれなく
プレゼントされるという「モナ=リザ・ペンライト」の存在。
この謎のアイテムを入手しようと、我が家の収集家が奔走。インターネットで
前売り券をゲットしたものの、残念ながらペンライトは・・・。

しかし、その翌日、失意の私にまるで天からの贈り物!
「先生、これ、うちに2つあるのでプレゼントしますよ」と本を貸してくれた同僚。
「あっ、ペンライトだっ!」
印刷室の電気を消し、スイッチを押し続けると、壁にモナ=リザの姿が
浮かび上がる。驚きの声に誘われて同僚が次から次へと見に来る始末。
まるで欲しかったおもちゃが手には入って、見せびらかして得意になっている
子どもだった、私。

イエスとキリスト教の授業では、自分の知識と教養のなさに辟易してしまいます。
たとえ信仰をもたなくても、世界史教師であるからには、イエスの生涯や聖書の物語を
格調高く生徒に話して聞かせたいものですが、どうも上手くいきません。
キリスト教は、世界史では避けては通れないものなのに、研究不足の自分に
いつもながら自己嫌悪です。
先日の授業でも、『ダ・ヴィンチ・コード』の話をしていたら、何だかわからないうちに
最後の晩餐から三位一体説まで一気に飛んでしまいました。

数年前に『聖地のクリスマス音楽』というCDを見つけました。
このCDには、ローマ=カトリック教会の聖歌のみならず、ギリシア正教会や
アラビア語の聖歌、古アルメニア語やアラム語による聖歌などが収録されています。
またベツレヘム生誕教会のギリシア正教会の礼拝堂の鐘の音が
冒頭と最後に入っています。キリスト生誕の地と言われている場所に
313年のミラノ勅令でキリスト教を公認した、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝
が礼拝堂を建設し、のちに6世紀の東ローマ(ビザンツ)皇帝ユスティニアヌス帝に
よって再建されたもののようです。
CDのタイトルからの想像を裏切るかのような、低音で重く響きわたる鐘の音が
ズシリとこちらに迫ります。
かつて授業で生徒に聴かせた時には、教室がシーンと静まりかえりました。
キリスト教2000年の歴史の重さが感じられたからなのでしょうか。

ダ・ヴィンチ・コード(上)

ダ・ヴィンチ・コード(上)

  • 作者: ダン・ブラウン
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2006/03/10
  • メディア: 文庫


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頑張れ、ヤンキー! [リポート]

現在の星条旗。独立13州の星条旗。星条旗のデザイン変遷の切手シート。
紅茶。独立宣言書のレプリカ。1ドル紙幣。そして『ヤンキー・ドゥードル』
アメリカ独立革命の授業で教室に持っていくものは以上。

軽快な曲調の『ヤンキー・ドゥードル』は、もともとイギリス軍が植民地アメリカの
人々を馬鹿にして歌ったものです。ただ曲の起源ははっきりしません。
「ヤンキー」はインディアン(正しくはネイティヴ・アメリカンですね)の言葉で
卑怯者を意味し、「ドゥードル」も do little (まぬけ野郎)という侮辱語。
江波戸昭の『世界の民謡めぐり』によれば、かつてヴァージニアの植民者が
インディアンと戦っていた時、いっこうに手を貸してくれないニュー・イングランド
(いわゆる北部)の人々のことを「ヤンキー」と呼んだとか。

独立戦争時、植民地側は武器や装備も貧弱で、兵士は「ミニットマン」
(1分で支度ができる。それくらい装備がなかった)と呼ばれていましたから、
「ヤンキー、頑張れよ!その調子、足並み揃えて、そうすりゃ女の子にも
もてるぞ・・・」とイギリス兵からからかわれるのも無理はありません。

Yankee Doodle went to town,
a-riding on a pony;
Stuck a feather in his cap
and called it macaroni.
[ Chorus ]
Yankee Doodle Keep it up,
Yankee doodle dandy.
Mind the music and the step .
And with the girls be handy!

Father and I went down to camp
along with Captain Good-win,
and There we saw the men and
boys as thick as hasty puddin !
[ Chorus ]

There was Colonel Washington,
upon a strapping stallion,
A-giving orders to his men,
I guess there was a million.
[ Chorus ]

しかしながら、1775年4月のレキシントン・コンコードの戦いでイギリス軍と
対等に戦った植民地軍は、その後ジョージ=ワシントンを総司令官として
7年もの間苦しい独立戦争を戦い抜き、ついに1781年10月にヨークタウン
の戦いで決定的な勝利をあげました。この時、高らかに歌われたのが
『ヤンキー・ドゥードル』です。もうこの歌はすっかり勝利の歌、アメリカ人の
愛国歌になっていました。
1783年のパリ条約でアメリカ合衆国は正式に独立が承認されます。

そして、この歌、日本では『アルプス一万尺』という替え歌に姿を変えます。
 ♪アルプス一万尺  小槍の上で  アルペン踊りを  さあ踊りましょ
  ランラランラ ランランラ ランラランラ ランランラ・・・
京都大学の山岳部の学生が作詞し、9番まで歌詞があるらしいのですが、
なぜ『ヤンキー・ドゥードル』のメロディが使われたのか・・・。

またこのメロディは、中国の歴代王朝の覚え歌にもなっています。
♪殷周東周春秋戦国   秦前漢新後漢・・・    

歌い手が変わり、メロディが海を渡り、歌詞が変わっても、伝えられていく。
天国にいる作曲者は、まさかこんなことになっているとは、
と思っているでしょうか?

知っておきたいアメリカ史1001

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  • 作者: ジョン・A. ギャラティ
  • 出版社/メーカー: 丸善
  • 発売日: 1993/04
  • メディア: 単行本

アメリカン・ミュージックの原点

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  • 出版社/メーカー: インディペンデントレーベル
  • 発売日: 2005/03/27
  • メディア: CD


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