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荒野に花を咲かせるために [モノローグ]

戦後65年という活字が目に飛び込んでくる昨今。
あの1945年、すなわち第2次世界大戦が終結して65年の月日が流れた。
それは沖縄戦からも、ヒロシマ・ナガサキからも65年が経ったということ。
そして今年は韓国併合から100年というめぐりあわせでもある。

戦争を考えるときに必ず口をついて出るのは、加害(者)と被害(者)という言葉。
どこまでを加害者といい、どこまでが被害者なのか。
戦場に行かず、敵兵を撃たなければ、加害者でないのか。
空襲で家を焼かれなければ、被害者でないのか。
戦後に生まれ、戦争を体験していない人間は、まったく関係がないのか否か。
自己と他者の線引きだけに躍起になっている人々もいるが、少し不毛ではないだろうか。
お互いが相手の身になって理解する、相手の傷に寄り添ってみる。話を聞いて共感する。
過去をよく知り、現在を考え、よりよい未来のために行動することが、何より大切では・・・。

20世紀中に解決できず、21世紀に持ち越された諸課題の中で、
最も困難だと言われる、パレスティナ問題。
イスラエル・ユダヤ人とアラブ・パレスティナ人の対立は、
両者ともが大きな歴史の被害者であり、戦争やテロを通じては両者が被害者であると同時に
加害者にもなっている。
私たちが住む日本という国は、65年もの間、戦争をしなかったが、
かの地の人々は、戦争(やその危険に身をおいている状態)がむしろ日常である、
というのが現実である。私たちはそれをどれだけ想像できるか。

一冊の本がある。
イスラエルの現代作家で平和活動に取り組む、アモス=オズの
『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』には、パレスティナ問題の解決法が拍子抜け
するほどシンプルに示されている。
一番必要なのは他者を理解する想像力なのだと、オズは言う。
この世界のあらゆる紛争や対立、そして戦争の背景にあるのは、「わたしたちこそ正しい」
と狂信し、他者(とその考え)をシャットアウトする思考法であると。

自分(たち)のことを笑えないようになったら、と思うと、
この猛暑の日々に背筋が寒くなった・・・。

いつか、平和を求める多くの人々の地道な活動が実り、音楽を共通の言語として、
ユダヤの若者とパレスティナの若者の奏でるハーモニーが世界中で響きあい、
世界中の聴衆が歓呼の声をあげるようなコンサートが実現すればいいのに・・・。

荒野に花を咲かせるために、一歩一歩のあゆみを大事に積み重ねている人が、
一語一語を大切に紡ぎ出している人が、世界にはいる。



わたしたちが正しい場所に花は咲かない

わたしたちが正しい場所に花は咲かない

  • 作者: アモス オズ
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 2010/03
  • メディア: 単行本



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誰のための、何のための。 [モノローグ]

そこに立たなければ、実感できないことがある。
その場所に身を置かなければ、真にその意味を理解できない事実がある。

沖縄、広島、長崎をかつて訪れた。
すべてそうだった。

もし、人生の時間が許せば、南京とアウシュビッツへも・・・。

アウシュビッツ・ビルケナウ収容所。
ナチス=ドイツの強制絶滅収容所。
ここだけでおよそ160万人もの人々が命を奪われた。
負の世界遺産。

灰色の死の世界にも「音楽」はあった。
『アウシュビッツの音楽隊』は、ドイツ人とユダヤ人と「音楽」の、
奇妙な三角関係の延長線上にある、「音楽」と人間の不可思議な物語が
そこを生き延びた人間の記憶によって描かれている一冊。

「音楽」は、生きる歓び、慰め、癒し。
しかし「音楽」は、人間の心と身体を縛りつけ、同じ方向に人間を
追い立てる装置。

「音楽」の価値のために人は奪われ、「音楽」の歓びのために人は犠牲になる。

人間を焼き殺したあとの黒い煙を眺めながら、強制労働に駆り出される収容者たちを、
見送り、また出迎えるために、毎日演奏する音楽隊。
収容者から選ばれた死の国の音楽隊が、アウシュビッツに存在した。

「音楽」は、まるで絶望への行進曲であり、まさに死者のための鎮魂歌。
しかし「音楽」は、やはり希望の序曲であり、そして生きるための讃歌。

確かにアウシュビッツでは、その両方が混在していた。


アウシュヴィッツの音楽隊

アウシュヴィッツの音楽隊

  • 作者: シモン ラックス
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 2009/04/21
  • メディア: 単行本



世界は本当にひとつになれるのか・・・? [モノローグ]

昨年末、初めてベートーヴェンの交響曲第9番<合唱つき>をコンサートホールで
聴く機会がありました。
やはりさすがに”第9”でした。ベートーヴェンの渾身のシンフォニーだけあって、
第1楽章から指揮者とオケのつくりだす音世界に引き込まれました。
そして、第4楽章の「歓喜に寄せて」の合唱が始まると、文字どおり鳥肌が・・・。
ステージ上の演奏者のみならず、ホールの聴衆すべてが、ベートーヴェンの意志の赴く
空間に昇ってゆくような、そんな瞬間さえ覚えました。

バッハは教会のために、モーツァルトは貴族のために、そしてベートーヴェンは、
市民階級のために音楽をつくったと言われます。
折しも18世紀末、フランス革命が勃発、初めて身分制社会を否定し、自由と平等の旗を
掲げた激動の時代でした。
革命思想に共鳴した平民出身のベートーヴェンが、革命戦争に勝利したナポレオンのために
交響曲を作曲したものの、彼が皇帝に即位して独裁権力者になった報を聞き、その献辞を
破り捨てたのは有名な逸話です(・・・交響曲第3番<英雄>)。

ナポレオン没落後の1815年には、ヨーロッパをフランス革命以前の状態に戻すという
保守反動のウィーン体制がスタート。特にその牙城であるハプスブルク家支配の
オーストリアでは、皇帝の政治や旧来の社会を批判する分子は徹底して取り締まりの対象に
なりました。貴族に屈することなく、芸術家として独立した歩みを目指したベートーヴェンも、
当局の監視下におかれたようです。

時代が変わり、自らの重厚長大な芸術作品が民衆に受け入れられなくなるとともに、
音楽家にとって致命的な聴覚を失うことに苦悩するベートーヴェン。それでもなお、その脳裏には
革命の時代に人々によって歌われたシラーの詩「歓喜に寄せて」がありました。

<前略>
・・・・・・・・
そなたの力は再び結び合わせる
世の習いが厳しく分け隔てたものを
すべての人間が兄弟となる
そなたの柔らかな翼の憩うところ
・・・・・・・・
<後略>

交響曲にあえて声楽を付けるという彼の意図は何だったのか?
シラーの詩をかなり短く、しかも字句を変更してまで、使ったのはなぜか?
音符では伝えきれなかった、彼の心の底にあったものは?

人々を熱狂させ、高揚させ、一体感を紡ぐこの曲は、初演以来たびたび
祝祭や記念の式典で演奏されてきました。ドイツ民族を団結させるために
アドルフ=ヒトラーのナチスによって利用されたこともありました。
ベルリンの壁が崩壊した際には、レナード=バーンスタインによって、
「歓びよ・・・」を「自由よ・・・」と歌詞を変えてコンサートで演奏されました。
日本ではいつの頃からか、年末に”第9”を聴くことが年中行事のようになりました。
そのたびに、そこに集う人々は、この曲を聴いて気分を高揚させ、あたかも世界が
1つになれるかのような錯覚に浸ります。

人と人、人の心と心が、時々濃密に確かめ合わなければ意識できないほど、
私たちは徹底的に分け隔てられているのかと、逆に思わざるを得ません。



「歓喜に寄せて」の物語―シラーとベートーヴェンの『第九』

「歓喜に寄せて」の物語―シラーとベートーヴェンの『第九』

  • 作者: 矢羽々 崇
  • 出版社/メーカー: 現代書館
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 単行本


ベートーヴェン:交響曲第9番

ベートーヴェン:交響曲第9番

  • アーティスト: フルトヴェングラー(ウィルヘルム),ベートーヴェン,バイロイト祝祭管弦楽団
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2004/12/01
  • メディア: CD



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旅ニ病ンデ夢ハ枯レ野ヲ駆ケメグル [モノローグ]

忙しいことに慣れ、日常にあまりに埋没して時間を過ごしていると、
ふいにそこから無性に抜け出したくなる時があります。

けれど、どうしても物理的に逃げ出せない、という状況もある。
そんな時こそ、書ヲ読ム・・・。

書店で惹かれて手にとった、しかし、長く書棚に埋もれていた本を、
思い出しては掘り起こし、毎夜恐る恐る、少しずつ少しずつページをめくっていく。
それが、400年前の、万里の波濤を越えた苦難の旅の話なら、
日常から逃げ出せない自分の心を、無理やり主人公の心に重ね合わせて、解き放ちたい。

天正遣欧使節(1582~90年)の陰に隠れて、やや地味な印象を拭いきれない、
支倉常長らの慶長遣欧使節団(1613~20年)。
徳川の天下が確かなものになりつつあったこの時代、スペインと手を結び世界を夢見た
仙台藩主伊達政宗の命を受け、サムライたちは、未知なる太平洋を渡ってメキシコへ。
そして遥かな大西洋を航海してヨーロッパの地を踏む。
セビリヤ、マドリード、フィレンツェ、永遠の都ローマ。

前途への不安。言葉や習慣の壁。肉体も精神をもむしばむ命を懸けた船旅。
そして何よりも望郷の思い。
彼らを最初に受け容れ、彼らを見送ることになる、スペインの小さな町コリア・デル・リオに
ハポン(日本)という姓をもつ人々が暮らし、日本とよく似た田園風景が広がるという。
生きて故国の地を、という望みを捨て、自ら異郷に留まったサムライたちがいた可能性に、
歴史の波間に漂っては消えた人間の悲哀を感じざるを得ない。

本の中、想像の旅ではなく、いつかそうした人々の足跡を
少しでも自分の足でたどることができたら、と・・・。



ヨーロッパに消えたサムライたち (ちくま文庫)

ヨーロッパに消えたサムライたち (ちくま文庫)

  • 作者: 太田 尚樹
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2007/01
  • メディア: 文庫



明日に架ける橋 [モノローグ]

高校生ともなると、合唱には抵抗を感じるものですが、最初の赴任校は、学校祭で
市の文化会館を貸し切って合唱コンクールを行なうような熱の入れようでした。
3年生ともなると、最後の学校祭での優勝を目指して、本当にクラス一丸となって合唱に
取り組みます。
今思えば恥ずかしくなるのですが、選曲でクラスの担当の生徒と大喧嘩して、
担任の好みの曲を押しつけたという苦い思い出も。にもかかわらず、多くの生徒たちは
最後の学校祭で必死に練習してくれました。しかし、力及ばず結局は惨敗。本番終了後
に何人かの女の子が号泣していた光景も忘れられません。

その時、クラスで歌ったのが『明日に架ける橋』でした。

NHKのBS放送の『世紀を刻む歌』は、時代を超え、海を越え、歌い継がれる
歌に焦点をあてた番組です。
今晩はサイモン&ガーファンクルのヒット曲『明日に架ける橋』を、女優の緒川たまきさん
の旅とともに紹介していました。
60年代のアメリカ。公民権運動とヴェトナム戦争。そうした激動の時代のさなか、
人々の対立が絶えず、そして憎悪が渦巻く社会に、癒しを与えるように、
ポール=サイモンが生み出した曲が『明日に架ける橋』です。

アメリカで生まれたこの曲は、1970年代に遠く海を渡り、南の大地へ。
カヴァーしたアレサ=フランクリンの歌声とともに、アパルトヘイト(人種隔離政策)を
実施する南アフリカへ伝わります。荘厳で高みに登っていくあのメロディは、ゴスペル調
に歌われ、それが虐げられて神に祈るしかない黒人たちに受け容れられていった
そうです。そしていつしか、教会で讃美歌としても歌われ出すのです。

悩みを1人で抱え込まず、困難を乗り越えて。君のために私は、荒れた海に架かる橋の
ようにその身を横たえるから。自己犠牲さえも厭わず、静かに大切な人に呼びかける
この歌。やがて新しい旅立ちの時を迎える、そしてその時が来たんだ、という3番の歌詞は
アパルトヘイトを脱した南アフリカの黒人たちの未来を歌っているかのようだ、と。

誰かが誰かの架け橋になっているのかな、と思わせ、人と人をつなぐ歌であることに
改めて思いを馳せた1時間でした。この歌がこれからもずうっと、人々によって歌い継がれ
てゆくことを夢想しながら・・・。

久しぶりにCDを手にしました。

明日に架ける橋

明日に架ける橋

  • アーティスト: サイモン&ガーファンクル
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2003/12/17
  • メディア: CD


耳を澄ませば・・・ [モノローグ]

古代の人々の耳には、どんな音が届いていたのだろう?
と、ふと考えることがあります。風が吹き樹木の葉や枝がすれる音。
雨が地面を打ちつける音。雷。川の流れる音。波の音。
水滴が落ちる音。炎が燃えさかる音。岩が崩れる音。地響き。
自然がつくりだす音の他には、動物の鳴き声くらい?

道具をつくり、それを使うようになって、材料と道具が奏でる音が生まれ、
初めて人工的な音が生まれましたが、それでもほとんど機械的な音は
存在しなかった・・・。

それに比べて、私たちの生活は朝から晩まで音だらけ。音の流れの中で
毎日ゆらゆら漂っているかのようです。

GW中に関西に足を伸ばしてきました。観光というよりも、日常からちょっと
遠くへ逃げ出した、大人の散歩でしょうか。
美術館と博物館・資料館を、2日間で4か所まわってきました。現代美術、浮世絵、
作家の書斎、陶磁器と、見るものはすべて違いました。
実際には来館者の会話や靴音が耳に届いていたのですが、4か所とも
見学中は何とも言えない静寂に身をおくことができました。

それは、ただ視覚を使って、聴覚を使わなかったということではありません。
浮世絵からは、江戸のにぎわいや遊女のため息が。また陶磁器からは、
陶土をこねたり、窯の火の弾ける音が、聞こえたような気がします。

カナダの作曲家・音楽環境研究家、R・マリー・シェーファーは、
「サウンドスケープ」(音の環境)という概念を提唱し、それをより良くするために
耳を澄ませ、聴き方を学び、世界のサウンドスケープをデザインしていこうと
活動しています。

音や音楽を、能動的に聴き、自分たちの心理や生活との関わりについて、
もっと注意深くなっていきたいと、改めて思います。

サウンド・エデュケーション

サウンド・エデュケーション

  • 作者: R.マリー シェーファー
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 1992/04
  • メディア: 単行本


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もしもピアノが弾けたなら・・・ [モノローグ]

春休みという言葉は少なくとも高校教師にとっては意味がありません。

1年の終わりである終業式の前から、転勤や新しい校内人事が
発表され、次の年度への引き継ぎが始まるのですが、年度内に
終わらせる業務と並行するので、頭の中がパニックになります。
3月の最後の1週間で旧年度に別れを告げ、4月の第1週で新年度の
準備をしますが、言うだけなら簡単なこと。実際は怒濤のような日々
になります。ある程度学校全体に関わる仕事を任されるようになると、
自分の授業の準備は結局後回し。教師にとって授業が最も大切なのに
その準備を優先できないシステムが現実にはあります。

新年度の準備に汲々としてストレスがたまるばかりなので、
思い切って新しいことに目を向けようと、少し高価なものを買って
しまいました。それは何と、電子ピアノ。

音楽を聴くのが大好きな私ですが、なぜか音楽的才能にはまったく
恵まれず・・・。高校時代に友人の影響でフォークギターを手にしましたが、
指が短く手首が硬く、弦をちゃんと押さえられないため挫折。
教師になってから、モンゴル好きのあまり、馬頭琴を購入するも、
音だけ聴いて満足し、いまやケースの中に眠ったまま。
熱しやすく冷めやすい、という性格にもよるのでしょうが、とにかく
楽器演奏には縁がない人間(のはず)なのに、買っちゃいました。

「弾けないのにピアノ買っちゃった」と言うと、職場の同僚は「なぜ?」
「何かあったか?」といぶかしげにこちらを眺め、音楽の先生も何とも不思議
そうな笑顔で応えてくれました。

今年=2006年は、あの天才作曲家・モーツァルトの生誕250年という年
だそうです。彼の人生はわずか35年という短いものでしたが、8歳で
交響曲を作曲するなど、子供時代はまさに神童。せめて彼の爪の垢でも
煎じて・・・と言いたいところですが、後世の人々に素晴らしい音楽を
残す代償としての、天才の激しい人生は、ちょっと遠慮したいかも知れません。

でも、もしもピアノが弾けたなら・・・。

アマデウス

アマデウス

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • 発売日: 2006/02/03
  • メディア: DVD


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あれから3年 [モノローグ]

166枚の修士論文を書き上げてから、
本当にあっという間に時間が過ぎ去っていきました。

教師10年目を過ぎた頃、授業に悩み、もう一度原点に立ち戻って学びたい、
充電したいという気持ちで、夜間の大学院に飛び込んで社会科教育学を
専攻。歴史をどう教えるか、ということをゆっくり2年間考えるつもりでした。

「歴史」は暗記ばかりで退屈だと思ったことがある人は多いはずです。
何を隠そう「歴史」好きの私も、年代や出来事の名称を覚えるのに辟易して
いました。追い打ちをかけるように、面白くない説明で授業は進んでいきます。
頬杖をついたまま、いつしか・・・。

そんな私が、高校で「歴史」を教えるはめになりました。自分が生徒だった頃、
もう少し真剣に授業を聴いていればなあ、と後悔しても時すでに遅し。
新米教師は夜中まで必死で教材研究して翌日の授業に備える毎日。
でも、ふと気がつくと、目の前の生徒は頬杖をついて、Zzzzz・・・。
う~ん、いったいどうすれば面白い授業ができるんだろう、と考えました。

ある日、思いつきで教室にラジカセを持ち込みました。
これから何が始まるんだろう?という生徒の不思議そうな眼差し。
スピーカーからは聴いたこともない「音楽」が・・・。

大学院の2年間はこれまでやってきたことを集大成し、これからの教師生活
の糧を得た月日でした。毎日遅くまで教材研究しては、新たな発見に喜び、
授業で生徒にぐんぐん迫っていたあの頃の自分。そんな原点に戻って
考えさせられた日々。やはりそこで音楽は外せないものなのです。

このブログでは、「歴史」の授業を面白くするために、「音楽」を教材として
教室に持ち込み、人間と「音楽」、社会と「音楽」、「歴史」と「音楽」について、
考えたり、気がついたり、思いついたり、調べたり、疑ったり、勝手に
想像したりしたことを書き留めておきたい、という意図のもと、「歴史」と
深く関わる「音楽」や「音楽」にまつわる「歴史」について、を紹介して
いきたいと思います。


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