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19×× ・・・Ⅰ [リポート]

実はフランス革命と音楽の話を書くはずでした。

前回、モーツァルトとマリー=アントワネットの人生の軌跡が、一瞬重なった
という話をしたので、フランス革命と「ラ・マルセイエーズ」でも取り上げ
ようかと思いながら、ぶらっと書店に立ち寄ったまではよかった・・・。

本屋さん探検は、私にとってはスリルとサンスペンスの連続。
いい本とのすれ違いがあれば、なかなか姿を現さない本もあり、
手にとって悩まされる単行本があるかと思うと、気がつけばいつの間にか
レジまで同行している文庫本もある。
先日も、頭の中でフランス国歌が流れているのにも関わらず、たまたま
視界に入ったタイトルが、みすず書房の『ビートルズとは何だったのか』

<フランス革命> → <音楽に革命を起こしたビートルズ>
<ラ・マルセイエーズ> → <愛こそはすべて♪>
という神経細胞の接続がこれまた一瞬にして成立してしまいました。

ビートルズの『愛こそはすべて(All You Need Is Love)』は、
1967年のヒット曲です。
何とイントロがフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」で、曲のエンディングでは
「グリーンスリーブス」やビートルズ自身のヒット曲「シー・ラヴズ・ユー」や
「イエスタディ」がコラージュのように展開する面白いナンバー。
一説によると、イントロにフランス国歌を使ったのは、イギリスのヨーロッパ共同体
(EC)への加盟に反対するフランスを皮肉ったものだとか・・・?

1967年6月26日、初の衛星中継のライヴ番組「アワ・ワールド」の中で、
ビートルズが全世界に向けて演奏したのが、この曲でした。
折しも、1966年から67年にはベトナム戦争が激化し、67年には第3次中東戦争が
勃発、中国では水爆実験が成功。中ソ、米中の関係が悪化していた時期。
またアメリカでも、黒人暴動や反戦デモが激しく燃えさかっていました。

ビートルズが来日した1966年に、この世に生を受けた私。
いわゆるビートルズ世代よりもかなり年少ですが、偶然にもジョン=レノンが射殺された
1980年からなぜかビートルズを聴き始め、現在に至っています。

世界史の中のビートルズ、あるいは、音楽が世界を変えていった1960年代の
記憶が、私の遺伝子のどこかに潜んでいるのかな、と、ちょっと不思議な感覚も。

ビートルズとは何だったのか

ビートルズとは何だったのか

  • 作者: 佐藤 良明
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2006/02
  • メディア: 単行本

THE BEATLES 1

THE BEATLES 1

  • アーティスト: ザ・ビートルズ, ジョン・レノン, ポール・マッカートニー
  • 出版社/メーカー: 東芝EMI
  • 発売日: 2000/11/13
  • メディア: CD


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神童と皇女 ~ 一瞬の、人生の重なり。 [リポート]

その昔、まだCDやMDがなかった頃の話。
ステレオがなかった我が家で、音楽を楽しむ方法は、FMラジオ。
好きな曲は録音(エア・チェック)してカセット・テープで聴くという習慣。

私が中学生の頃はNHK-FMしか受信できず、それでもFM雑誌を買っては
番組予定表をチェックしていたものです。最初に買ったFM雑誌は、確か
小学館の「FMレコパル」(?)。いろんな記事の中で、特に作曲家や
アーティストの生涯、エピソードを、第一線の漫画家が交替で描くコーナーが
お気に入りだったなあ・・・。

そういえば黒鉄ヒロシが描いたモーツァルトも、かすかに記憶に残っています。
未完の絶筆となった「レクイエム」の作曲を依頼しに来た謎の男の話。
神童とか天才といわれたモーツァルトですが、貧困と病気に苦しみ、わずか
35年の生涯を終えます。

1791年12月5日の未明に息をひきとったモーツァルト。「依頼主の名前は
聞かないでほしい」と、死人のようにやせ細った不気味な謎の男の要求に
よって、高額な報酬と引き換えに、作曲を了承したものの、眠るのを惜しんで
何かに取り憑かれたように作曲に没頭。そのせいか日に日に健康を害し、
ついに自分自身が死に至る。彼の死因は毒殺説など当時からさまざまな憶測
が飛び交っていますが、ただハッキリしているのは「レクイエム」というのは、
キリスト教の葬式に使われる音楽だということです。

そんなモーツァルトも、6歳の時に一瞬だけ世界史の表舞台につらなる
シーンに姿を現し、輝きをはなっています。

ハプスブルク家支配下のオーストリアの都ウィーンのシェーンブルン宮殿。
皇帝フランツ1世と女帝マリア=テレジア一家を前に、神童は3時間にも
及ぶ見事なクラヴィーア(ピアノの前身のような楽器?)演奏の後、思わず
ステーンと転んでしまいます。
それを助け起こしたのが1歳年上の皇女。「ありがとう、大きくなったら、
ぼくのお嫁さんにしてあげる!」と神童。これはモーツァルトにまつわる有名な
エピソードの1つですが、その皇女こそ、後にフランス国王ルイ16世と結婚し、
フランス革命でギロチンの露と消えたあのマリー=アントワネットその人でした。

ほんの一瞬だけの、2人の人生の重なり。その後の2人の運命を考えると、
切なささえ感じます。

モーツァルト:レクイエム

モーツァルト:レクイエム

  • アーティスト: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, トルボルグ(ケルスティン), ウィーン国立歌劇場合唱団, シューマン(エリザベート), キプニス(アレクサンダー), デルモータ(アントン), モーツアルト, ワルター(ブルーノ)
  • 出版社/メーカー: 東芝EMI
  • 発売日: 1996/06/19
  • メディア: CD


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ケルトの魂~その4 [リポート]

もう20年近く前の、学生時代の話。
経済学の先生がいつも口にしていた言葉があります。
研究したり調べたりする対象は、大きなもの、強いもの、権力をもつもので
あるべきで、弱いもの、無力なものを取り上げて、それを明らかにすることで
彼らに不利に働くようになってはいけない・・・、と。
その先生の講義内容はほとんど忘れましたが、何となく記憶に残っている
のが、この言葉です。

アイルランドも、イギリスという強大な権力(そして収奪システム)に
よって長く支配されました。それに対する抵抗こそ、ケルトの魂と呼ぶに
ふさわしい。だからこそ、強大なパワーの前で、必死にあらがう弱きもの
たちの心理や姿への共感があるのでしょうか?

世界的なロック・バンドになったU2(ソ連上空を飛行して撃墜された
アメリカ軍の偵察機の名前)の1984年発表のアルバムが、
『焔(The Unforgettable Fire)』です。
このタイトルは、シカゴの平和記念館で開催されていた、広島・長崎の
被爆記録展のタイトルと同じ。記念館では同時にマーティン・ルーサー・
キング(「マーティン・ルーサー」って結局「マルティン・ルター」だと気づいた
のは私が教師になってから)の軌跡展も開かれていたとか。
その展覧会に共鳴して制作された楽曲を収めたアルバムが『焔』でした。

『プライド Pride(in the name of love)』という曲はキング牧師のことを
歌っています。

4月4日の朝早く
一発の銃声がメンフィスの空に響きわたる
束縛を逃れ、自由になれるのは
命が奪われる時
しかし、人の誇りまでは奪えない
愛の名のもとに
いま一度愛の力を信じて

アメリカの公民権運動に、命を捧げたキング牧師。
「黒人差別」という巨大な力に立ち向かって、自由と平等の扉に
手をかけ、開け放とうとした。
「私には夢がある・・・(I have a dream・・・)」と彼は叫びました。

同じアルバムにもう1曲『MLK』という曲が収録されています。

眠れ、今夜は眠りなさい
あなたの夢がきっと現実のものになりますように
雷雲が雨を降らせるとういうのなら
雨よ、降れ
あの人の上に降り注げ
すべてはあるがままに

15~16世紀に生き、宗教改革の狼煙をあげたマルティン・ルター。
彼が修道院に入ろうと決意したのは、雷雨に打たれた際に、
神に祈ったために無事だったから、という説も。

巨大な力の前の弱きもの。そして、それへの共感と連帯の絆を
強く感じます。

The Unforgettable Fire

The Unforgettable Fire

  • アーティスト: U2
  • 出版社/メーカー: Polygram
  • 発売日: 1990/06/15
  • メディア: CD


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ケルトの魂~その3 [リポート]

強力な国家権力によって個人の権利や主張が踏みにじられるのは、
何もナチス=ドイツのような独裁政権下だけではないでしょう。

アイルランドはイギリスによる苛酷な植民地支配を受けましたが、
20世紀にようやく独立しました。しかし、北部の地域はイギリスに
残り、イギリス系のプロテスタント住民とアイルランド系カトリック住民の
間では長期にわたって激しい民族差別と宗教対立が続いてきました。
いわゆる北アイルランド紛争です。

ジム・シェリダン監督による映画『父の祈りを』は、1974年、ロンドンで
IRA(武力で北アイルランドの独立を目指すアイルランド共和軍)のテロ
によって起きた爆弾事件の犯人として、無実の罪をきせられた父子の
実際の冤罪事件を映画化したものです。
この映画は父子の心の絆の物語ですが、アイルランドの歴史的背景と
それが現代にも深く影を落としている様子がよくわかります。
警察の容疑者に対する傲慢な態度や、アイルランド人を侮蔑する言動には、
正直恐ろしさを感じました。
これが先進国と言われる国での出来事なのかと・・・。

1972年1月30日、日曜日。北アイルランド、ロンドンデリーで行なわれた
一般市民のデモ行進にイギリス軍が発砲。13人の犠牲者が出たこの事件は
「血の日曜日」と呼ばれました。北アイルランド紛争の中でも重要な事件と
言われています。

アイルランド出身で今や世界的なロック・バンドになったU2の1983年の
アルバム『WAR』には、この事件をモチーフにした『ブラディ・サンデイ』
(Sunday Bloody Sunday)という曲があります。

今日のニュースなんてこった
ああ目をつむるなんてできないし
やりすごすなんてこともできない。
あとどれだけ・・・
僕らはこの歌を歌わなきゃいけないのか。
残りは?あとどれだけなんだ・・・。

子供らの足元にはビンのかけらが飛び散り
袋小路の路上には死体が敷き詰められている
でも僕は戦闘への招集には応じない
そいつは僕の背中を壁へと押し付けるんだぜ

そして戦いが今まさに始まった
失ったものがたくさんあるのに
誰が勝ったって言うんだ言ってみろよ
僕らの心には溝が掘られた
母親も子供も兄弟も姉妹も
引き裂かれた

日曜、血の日曜。
涙を拭ってくれ
涙を拭って。

そして僕らには免疫が出来てしまった。
事実がフィクションになって
テレビがリアリティになってしまっているってのに。
そして今日も何百万もの人々が泣き
僕らは飲み食いする
彼らが明日にも死ぬのだとしても。

父の祈りを

父の祈りを

  • 出版社/メーカー: ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
  • 発売日: 2006/04/19
  • メディア: DVD

War

War

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Island
  • 発売日: 1990/06/15
  • メディア: CD


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ケルトの魂~その2 [リポート]

ドイツがゲルマン魂なら、アイルランドはケルト魂でしょうか。
まあ、必要以上に民族のアイデンティティを主張することは少し
危険な部分もあります。ただし、アイルランド人のような民族に
とっては仕方のないことかも知れません。

アイルランドは、イギリスによる植民地支配と宗教対立、そして
アメリカへの移民(とそこでの差別)という、非常に重く苦しい過去
を背負って来ました。

アイルランド民謡で最も有名な歌の1つに『ダニー・ボーイ(ロンドン
デリーの歌)』があります。この歌は、戦いに出てゆく息子を見送る
母親の心情が歌われていますが、時代によっては恋愛の歌詞でも
歌われていたそうです。つまり、こうした民謡は、たいてい詞が
恋愛歌とイギリスへの抵抗歌(レベル・ソング)の二重の意味を
持っていました。

ケルティック・ウーマンの同名のCDアルバムに『シューリ・ルゥ』
という曲が収録されています。この歌は兵隊に行った恋人を慕い、
その帰りを待ちわびるという歌詞ですが、恋人を戦争に行かせる原因
をつくったイギリスを暗に批判しています。

茂木健の『バラッドの世界~ブリティッシュ・トラッドの系譜』によれば、
『シューリ・ルゥ』はその後移民とともに海を渡ってアメリカに伝わり、
部分的にもとの歌詞が残って、メロディもほぼ同じの『ジョニーは兵隊に
なって行ってしまった』という曲に姿を変えました。また1963年の
PPM(ピーター・ポール&マリー)のアルバムに『虹に消えた恋』という
曲が収録されていますが、何と歌詞は『シューリ・ルゥ』と『ジョニーは
兵隊になって行ってしまった』を会わせたような形だとか・・・。

1つの歌が、200年、300年の長い間、少しずつ形を変えながらも、
生き続けている・・・。民衆の、民族の、声なき声としての「歌」が
アイルランドの苦難の歴史を物語り、語り継いでいるかのようです。

ベスト・オブP.P&M

ベスト・オブP.P&M

  • アーティスト: ピーター・ポール&マリー
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1990/10/25
  • メディア: CD

バラッドの世界―ブリティッシュ・トラッドの系譜

バラッドの世界―ブリティッシュ・トラッドの系譜

  • 作者: 茂木 健
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2005/08
  • メディア: 単行本


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ケルトの魂~その1 [リポート]

すっかり「イナバウアー」が有名になった、トリノ・オリンピックの
フィギュアスケート女子シングル金メダルの荒川静香選手。
まだあの華麗な演技の余韻に浸っているのは私だけでしょうか?

フィギュアスケートは「音楽」抜きでは成り立たない競技ですが、
荒川選手の金メダルで、フリーの使用曲『トゥーランドット』のCDの
セールスが好調だとか。そして、もう1曲、エキシヴィションの演技で
使われた『ユー・レイズ・ミーアップ』が今、注目されているそうです。

全米で大ブレイクしたアイルランド女性5人組のユニット
「ケルティック・ウーマン」が歌う、しっとりしたバラード『ユー・レイズ・
ミー・アップ』ですが、You raise me up... to more than I can be.
(あなたが励ましてくれるから…私以上の私になれる)という歌詞が
辛いときや落ち込んだときに力をくれる・・・、そんな曲です。

しかし、もともとこの歌詞は、アイルランド出身の作家が、19世紀に
アイルランドで起こったジャガイモの大飢饉のことを取り上げて描いた
作品だとか。シークレット・ガーデン(ノルウェーの男性ピアニストと
アイルランドの女性ヴァイオリニストのデュオ)のインストゥメンタルに
歌詞がつけられ、以後多くのアーティストがカバーしています。

1845年から49年にかけて、アイルランドではジャガイモの病気が
広がって凶作が続き、全人口約900万人のうち、100万人が餓死。
150万人がアメリカへ移民(あのJ・F・ケネディもこうした移民の子孫
です)。当時アイルランドは大英帝国の植民地で、小麦はすべて
イギリスへ送られ、アイルランド人はジャガイモを食べていたことが
原因でした。イギリスによるアイルランド支配は世界史でも最も
苛酷な植民地支配と言われています。

アイルランド人にとって、この19世紀半ばの「大飢饉」は絶対に忘れら
れない記憶です。伝統音楽のみならず、ロックやポップスにもケルトの
魂が宿っています。

ケルティック・ウーマン

ケルティック・ウーマン

  • アーティスト: ケルティック・ウーマン
  • 出版社/メーカー: 東芝EMI
  • 発売日: 2006/02/01
  • メディア: CD


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トリノ五輪記念 ~その2 [リポート]

トリノ・オリンピックの終盤で嬉しいニュースが飛び込んできました。
フィギュアスケート女子シングルの荒川静香選手が見事金メダルを獲得! 
フリーの演技はNHKのライヴで見ましたが、氷上の華麗な舞いは
かつてのドイツのカタリーナ=ビット選手のような印象。
思えばフィギュアスケートを見るようになって4半世紀近く・・・。
ビールマン・スピンを、本人のビールマン選手がやっているのをテレビで
見ていたというと、さすがに私より年下のフィギュアスケート好きの同僚も
「えっ?」という表情でした。

なぜフィギュアスケートが気になるのか、というと、この競技が「音楽」抜き
には考えられないからでしょう。名演技には必ず「音楽」の力が関わって
いるような気がします。
1984年のサラエボ・オリンピック、フィギュアスケートのアイスダンスで
金メダルを取ったのがイギリスのトービル&ディーン組。今まで見た
フィギュアスケートの中で最高の演技の1つと言ってもいい、もはや伝説
です。この演技の音楽は、ラベルの『ボレロ』でした。

荒川静香選手がフリーに使った曲は、イタリアの作曲家プッチーニの
『トゥーランドット』から「誰も寝てはならぬ」
自分の一番好きな曲で滑りたいという意志を通して、オリンピック直前で
賭けとも言える曲目変更。そして開会式でのパヴァロッティが歌った偶然。
この2つに運命を感じたという荒川選手。

ジャコモ・プッチーニ(1858~1924年)作曲のオペラ『トゥーランドット』の
初演はミラノ・スカラ座で国家的イベントとして行なわれました。
当時イタリアではムッソリーニが政権の座にあり、オペラ好きのこの権力者の
臨席が予定されていましたが、開演前のファシスト党党歌演奏を指揮者の
トスカニーニが拒否したことから、ムッソリーニの出席は中止されたそうです。

このオペラの舞台は中国の北京で、トゥーランドット姫の婿選びをめぐる
ストーリーが展開しますが、中国では長らくヨーロッパによる中国蔑視の象徴的
作品とされて1998年まで上演が禁じられてきました。

欧米以外の国の選手がフィギュアスケートで初めて金メダルを獲得したのも、
何か「音楽」という魔法の力が働いているような、そんな気分にさせる
『トゥーランドット』でした。

音楽という魔法―音を語ることばたち

音楽という魔法―音を語ることばたち

  • 作者: ミッキー ハート, フレドリック リーバーマン
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 2002/06
  • メディア: 単行本


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トリノ五輪記念 ~その1 [リポート]

テレビのニュースや新聞は連日、トリノ・オリンピックの話題満載
です。雪国に住んでいるので、冬のオリンピックには特別な感情が
あり、メダル獲得だけでない、選手のドラマが私は気になります。

さて、トリノといえばイタリア北部の工業都市ですが、世界史の
教科書に登場するイタリアの都市は、ローマ、ヴェネツィア、フィレンツェ
が何といっても御三家でしょう。次がミラノあたりかな?
世界史ではトリノは、どちらかというと地味な都市ですね。

しかし、古代ローマ以来の都市=トリノにも歴史の脚光を浴びた瞬間が
ありました。ローマ帝国崩壊後、長く分裂・抗争を繰り返していたイタリアが
国民国家として初めて統一されたのが、1861年の2月のこと。
サルディニア王国が主導したイタリア統一戦争の後、サルディニアの首都
トリノに全イタリアの代表が集まって国会が開かれ、ヴィットーリオ=
エマヌエーレ2世が即位してイタリア王国が誕生しました。その後1865年
に首都がフィレンツェにうつるまで、トリノはイタリア王国の首都でした。
今でもトリノ市民はそのことに誇りを持っているとか・・・。

授業で、イタリアが長く分裂していた証拠としてサッカーの話をよくします。
世界最高のプロ・サッカー・リーグのひとつであるセリエAの試合は、
選手のプレー以上にサポーターの応援が過激です。観客席の発煙筒は
日常茶飯事で、火炎瓶がピッチに投げ込まれたりも(怖い!)。
それもそのはず、今でこそ同じ国ですが、約140年前までは隣国で敵対
関係であった都市も多いのです。日本でも戊辰戦争で戦った薩摩・長州
(鹿児島・山口)と会津がようやく最近和解したなんてニュースを数年前に
新聞で目にしました。スポーツも、歴史的背景が重要です。ちなみに
トリノはセリエAの名門ユベントスの本拠地でもあります。

オリンピックの開会式でも歌われたイタリアの国歌は、『イタリアの同胞』
です。もともとの詩はマメーリ(1827~49)が1847年に書き、後から
曲がつけられたのだとか。別な曲が歌われていたこともあったものの、
1946年に国歌として制定され現在に至っています。

フランス国歌の『ラ・マルセイエーズ』ほどではありませんが、国家のため
に命を捧げようという内容の歌詞で、19世紀のリソルジメント(イタリア
統一を目指す自由主義・民族主義の運動)の雰囲気が伝わってくる
かのようです。

オリンピック=平和の祭典のはずですが、どことなく国家や民族という
アイデンティティーが脈打つイベントでもあります。

新世紀ヨーロッパ国歌集 ~EU加盟15ケ国 ~

新世紀ヨーロッパ国歌集 ~EU加盟15ケ国 ~

  • アーティスト: タピオラ合唱団, カレリア・ブラス、弦楽四重奏団, ルネベル, パシウス, ポエッラェネン(カリ・アラ), メンドーサ, ケイウ, ド・リール, ディベック, ロジェ, カンペンハウト
  • 出版社/メーカー: キングインターナショナル
  • 発売日: 2000/05/24
  • メディア: CD


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カトリックの逆襲 [リポート]

「改革」というと清新なイメージを抱きますし、変化に対応する
柔軟性を感じさせます。宗教改革もまさにそう・・・。

反対に、これまで受け継いできた伝統を尊重し、時代や社会の
変化に関係なく守るべきものもあるでしょう。
「エラスムスが生んだ卵を、ルターがかえした」という言葉が
ありますが、カトリック教会から見れば、宗教改革は毒蛇の卵がふ化
してしまったという嫌悪すべき出来事なのです(ちなみに私は
どちらの味方でもありません・・・念のため)。

宗教改革を、「音楽」という切り口で注意深く見てみると、その対比が
よくわかります。
プロテスタントの讃美歌は民謡からメロディを採用しているものが多く、
簡潔で力強い旋律はドイツ語の発音に非常に合っていると言われます。
それまで宗教歌はラテン語で歌われるのが普通でしたが、この時代は
各地で自国語で歌われるようになりました。これはルネサンス思想の影響
に他なりません。

ルターやカルヴァンの宗教改革に対し、カトリック内部の改革を「反宗教
改革(対抗宗教改革)」と言います。1545~63年に開催されたトリエント
公会議では、ロ-マ教皇の至上権が確認され、禁書目録の制定など
カトリックによる思想統制が行なわれたことで有名です。
また公会議では、音楽に関して、流行歌や楽器を排除した人間の声だけの
純粋な音楽が理想とされました(もともと教会は楽器を世俗的とみなして
いました)。しかしプロテスタントへの対抗か、それまでと比べて歌詞が
よくわかることが奨励されるようになりました。

パレストリーナ(1525頃~94)の『教皇マルチェルスのミサ曲』は、
ちょうどトリエント公会議開催中の1562年頃にできた曲と言われて
います。教皇に選ばれてからわずか3週間で没したマルチェルス2世
でしたが、「厳粛な礼拝にふさわしい歌い方、そして聴いていて
よくわかる音楽」を、と聖歌隊に指示しています。

パレストリーナのこの清く澄んだミサ曲は、無伴奏(つまりア・カペラ)の
宗教合唱曲のお手本として、後世にも大きな影響を与えましたが、
歌詞についても、伝統的なグレゴリオ聖歌、聖母マリアや三位一体説が
歌い込まれており、教会を絶対的なものとみなすカトリック信仰の特徴が
よく出ています。

パレストリーナ―その生涯

パレストリーナ―その生涯

  • 作者: 金沢 正剛, リーノ ビヤンキ
  • 出版社/メーカー: カワイ出版
  • 発売日: 1999/03
  • メディア: 単行本


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ルターの意気込み [リポート]

さて、問題です。キリスト教で、カトリックとプロテスタントの違いは
何でしょう?
宗教改革の授業でいきなり生徒に尋ねたことがあります(ちなみに、
カトリック系の私立高校では、世界史の授業で宗教改革は教えない、
という話を聞いたことがあります。まあ、カトリックにとってのルターの
存在を考えると・・・。しかし、果たして本当なんでしょうか・・・)。

自分の人生でキリスト教に最も接近したのは、キリスト教系の幼稚園に
通っていたこと(しかし訳あって途中退園)と、教会での結婚式の2つの
出来事のみ。正直な話、世界史を教えるようになるまで(授業で宗教改革を
扱うまで)は、カトリックとプロテスタントの違いもよくわかりませんでした。
「アーメン」とお祈りするときに胸の前で十字を切るのと、そうでないのとの
違い。神父さんと牧師さんの違い。せいぜいこんな程度の知識・・・。

もちろん、ローマ=カトリック教会の発展や宗教改革を扱った授業を
何度やっても、キリスト教の教義は、信仰のない私には理解し難いもの
ですが、意外なことに、音楽や歌詞を比べることで、カトリックとプロテスタント
の違いがすーっと自分の中でわかったような気になりました。

宗教改革を始めたマルティン=ルター(1483~1546)は、音楽の
才能にもあふれた人だったらしく、作曲や演奏をしたようです。
彼の作詞・作曲による讃美歌『神はわがやぐら(砦)』は特に有名ですが、
この曲がつくられた1529年は、神聖ローマ帝国皇帝カール5世が
オスマン=トルコ帝国のウィーン包囲失敗後に、ルター派の諸侯への
妥協が必要なくなり、ルター派を再禁止した年です。
これに対して抗議文(protestatio)を提出したルター派の人々を以後
プロテスタントと呼ぶようになります。

讃美歌といっても『神はわがやぐら(砦)』の歌詞は、敵をやっつけるぞ!
という戦闘的な雰囲気が濃厚です。そこからは、ローマ教皇や皇帝、
すなわちカトリック陣営からの迫害に抵抗していこうとする意気込みを
強く感じさせます。また「主の言葉」=聖書を中心とする個人の内面的な
信仰の重視が垣間見られますが、それが近代の個人主義の出発点
になると言えるのかも知れません。

ルターの宗教改革は音楽にも影響を与えました。
新しい教会音楽、特に「コラール」と呼ばれるドイツ語の讃美歌が
生まれますが、これを完成させたのが「音楽の父」ヨハン・セバスチャン
=バッハです。バッハの『カンタータ第80番 われらが神は堅き砦』は
ルターの『神はわがやぐら(砦)』をもとにした壮大なスケールの曲です。

讃美歌21―交読詩編付き

讃美歌21―交読詩編付き

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本基督教団出版局
  • 発売日: 1997/02
  • メディア: 楽譜


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