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誰のための、何のための。 [モノローグ]

そこに立たなければ、実感できないことがある。
その場所に身を置かなければ、真にその意味を理解できない事実がある。

沖縄、広島、長崎をかつて訪れた。
すべてそうだった。

もし、人生の時間が許せば、南京とアウシュビッツへも・・・。

アウシュビッツ・ビルケナウ収容所。
ナチス=ドイツの強制絶滅収容所。
ここだけでおよそ160万人もの人々が命を奪われた。
負の世界遺産。

灰色の死の世界にも「音楽」はあった。
『アウシュビッツの音楽隊』は、ドイツ人とユダヤ人と「音楽」の、
奇妙な三角関係の延長線上にある、「音楽」と人間の不可思議な物語が
そこを生き延びた人間の記憶によって描かれている一冊。

「音楽」は、生きる歓び、慰め、癒し。
しかし「音楽」は、人間の心と身体を縛りつけ、同じ方向に人間を
追い立てる装置。

「音楽」の価値のために人は奪われ、「音楽」の歓びのために人は犠牲になる。

人間を焼き殺したあとの黒い煙を眺めながら、強制労働に駆り出される収容者たちを、
見送り、また出迎えるために、毎日演奏する音楽隊。
収容者から選ばれた死の国の音楽隊が、アウシュビッツに存在した。

「音楽」は、まるで絶望への行進曲であり、まさに死者のための鎮魂歌。
しかし「音楽」は、やはり希望の序曲であり、そして生きるための讃歌。

確かにアウシュビッツでは、その両方が混在していた。


アウシュヴィッツの音楽隊

アウシュヴィッツの音楽隊

  • 作者: シモン ラックス
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 2009/04/21
  • メディア: 単行本



英雄か、テロリストか・・・ [リポート]

南北戦争(1861~65年)はアメリカでは、「Civil War」(市民戦争)と呼ばれます。
エイブラハム=リンカン大統領という傑出した指導者のもとで、アメリカの歴史上最大の約62万人の
犠牲者を出しながらも、国家分裂の危機を乗り越えた国内戦争が、南北戦争でした。
戦争中のリンカンの奴隷解放宣言や、「人民の、人民による、人民のための政治・・・」で有名な
ゲティスバーグ演説、さらに戦争終結直後のリンカンの暗殺など、世界史の授業では話題に事欠かない
項目です。

たいてい南北戦争の授業のときは、教室には、南軍旗やストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』や
リンカンの演説原稿のコピーや暗殺で使われたデリンジャー銃のレプリカなどを持ち込みますが、
やはり音にもこだわります。
かつてALTのアメリカ人講師に授業に参加してもらい、南北戦争についてQ&Aをやりとりしたり、
リンカン大統領になったつもりでゲティスバーグ演説を英語で朗読してもらったりもしました。

もちろん音楽もあります。

黒人奴隷の過酷な労働や差別を取り扱う場合は、歌詞をじっくり読みながら黒人霊歌を聴かせた
こともありましたが、奴隷制の是非が南北対立を深め、やがて戦争になったという側面から語れる材料の
ひとつとして、『リパブリック賛歌 (Battle Hymn of the Republic)』があります。

この歌はもともと、1856年頃にウィリアム=ステッフという人物によって作曲された賛美歌で、
1862年にジュリア=ウォード=ハウという女性詩人が歌詞をつけたと言われています。
戦争中に北軍の愛唱歌となり、リンカン大統領も聴いていたようです。

Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord,
He is trampling out the vintage where the grapes of wrath are stored,
He hath loosed the fateful lightning of His terrible swift sword,
His truth is marching on.
Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
His truth is marching on.

私は到来する主の、栄光を見た
神の怒りの葡萄が、貯めてあるところで
主は、収穫物を踏み潰す
主は、恐怖の剣を振りかざし、運命の稲妻を落とす
主の信念は進撃してゆく
主に栄光あれ!(繰り返し)
主の信念は進撃してゆく

ところが、同じメロディで異なる歌詞が存在します。
それが『ジョン=ブラウンの屍 (John Brown’s Body)』です。

John Brown’s Body lies a-moldering in the grave,
(3回繰り返し)
But his soul goes marching on.
Glory! Glory! Hallelujah!(3回繰り返し) 
But his soul goes marching on.

ジョン=ブラウンの屍は墓の中で朽ちかかっている(3回)
しかし、彼の魂は勝ち誇って進む
グローリー グローリー ハレルヤ!(繰り返し)
彼の魂は勝ち誇って進む

これは奴隷解放論者のジョン=ブラウン(1800~59年)を称えて、歌われ、広まったものです。
奴隷解放運動に身を捧げ、黒人奴隷の蜂起によって奴隷制度を打ち破ろうとしたブラウンは、
南北戦争を始めさせた男、奴隷解放の英雄として評価される一方、
奴隷制擁護派の白人を惨殺(1856年のポタワトミーの虐殺)し、1859年10月にはヴァージニアの
ハーパーズ=フェリーにある連邦政府の武器弾薬庫を襲撃して奴隷の蜂起を呼びかけ
逮捕・処刑されるという、いわばテロリストの走りとして否定される存在でもあります。
南部の住民は彼を悪魔のように呪いましたが、リンカンでさえ彼を「妄想にとりつかれた狂信者」と呼び
ました。果たしてジョン=ブラウンは英雄的殉教者か、狂人か、テロリストか。

彼は1859年の12月に反逆罪で絞首刑になりますが、歌詞のJohn Brown’s Bodyは、
刑に処されて吊された彼の姿を表しているのでしょう。またその処刑には多くの民兵が立ち会った
ようですが、その中に後にリンカンを暗殺するジョン=ブースもいたという話もあります。

この歌はアメリカの民謡・愛国歌として今なお親しまれていますが、海を渡って日本にも伝えられました。
明治時代には賛美歌として歌われ、また新たな歌詞がつけられて『おたまじゃくしは蛙の子』や
『ともだち讃歌』となって今も歌い継がれています。
そして、某有名家電量販店のCMソングのメロディとしても・・・。 


The Civil War - Traditional American Songs And Instrumental Music Featured In The Film By Ken Burns: Original Soundtrack Recording

The Civil War - Traditional American Songs And Instrumental Music Featured In The Film By Ken Burns: Original Soundtrack Recording

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Nonesuch
  • 発売日: 1990/12/29
  • メディア: CD



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歴史は繰り返す [リポート]

ベートーヴェンが捧げるはずであった献辞は、やはり失われる運命であったのか。

1804年、国民投票により34歳で皇帝となったナポレオン。
翌1805年のアウステルリッツの三帝会戦、さらに1806年のイエナ・アウエルシュテットの戦いで
オーストリア・ロシア・プロイセンを次々と撃破し、ほぼ西ヨーロッパ全域を支配下におく。
1806年にはイギリスの経済封鎖を狙って、イギリスと大陸諸国の通商を禁止するいわゆる
大陸封鎖令(ベルリン勅令)を発令。その勢威は頂点に達したかに見えたが、しかし・・・。

フランス革命の流血の中から手にした「自由」「平等」を守るため、そして諸国民を圧政から解放する
ための革命戦争は、いつしか皇帝ナポレオンの独裁権力による侵略戦争へと姿を変えていった。

1812年6月、大陸封鎖令に従わないロシアに対し、ナポレオンはおよそ60万人の大軍を率いて
ロシア遠征を敢行。ところが、ロシア側は巧妙に決戦を避けながら退却を繰り返し、ナポレオン軍を
領内に深く誘い込む。遠征軍はフランスと支配下諸国の混成部隊で統率も不完全であり、脱走兵も
相次いだ。9月のボロディノの戦いではロシア軍に決定的な打撃を与え、ついにモスクワを占領したが、
そこには火を放たれて廃墟となった街が残されていただけであった。
ロシアの焦土作戦で補給のできないナポレオン軍は、冬将軍の到来で飢えと寒さに悩まされ、
10月には退却を余儀なくされた。ロシア軍はこれを見て反攻を開始。農民ゲリラもナポレオン軍に
襲いかかった。12月にニーメン川を渡った時点でナポレオン軍は何と5000人に減っていたという。
この大敗北をきっかけとして、ナポレオンは没落の階段を転げ落ちる。
1813年のライプツィヒの戦い(諸国民戦争)で敗れたナポレオンは皇帝を退位し、
翌年エルバ島に流され、その野望は消え去った。

ロシアではナポレオンの遠征を、「1812年の祖国戦争」と呼ぶ。
この戦争は文豪トルストイの小説『戦争と平和』に描かれるとともに、国民的作曲家チャイコフスキーに
よって序曲『1812年』として音楽でも表現された。
華麗なオーケストレーション、戦闘を彷彿させる大砲の轟音、平和への祈りを象徴する聖歌や鐘の音、
民衆の声なき声を表す民謡の調べ。そして、フランス国歌『ラ=マルセイエーズ』とロシア国歌の旋律を
交互に強弱をつけて繰り返し、両軍の攻防を巧みに表現する・・・。
他国の侵略から国土を防衛した戦争の記憶。
チャイコフスキーは、五線譜の上で音符によってこれを再現した。

ナポレオンのロシア遠征からおよそ130年後。
1941年6月、独ソ不可侵条約を破って突如ドイツ軍がソ連領内に侵攻し、独ソ戦が始まる。
当初ドイツ軍の攻勢が圧倒的であったが、同年12月、冬将軍のためにドイツ軍の進撃が止まった。
 (※第2次世界大戦の開戦以来、ヨーロッパを席巻したドイツ軍の進撃が初めてストップした時、
   地球の裏側ではその同盟国が太平洋で戦争を開始した・・・)
1942年8月からその翌年の2月にかけて戦われた凄惨な市街戦、スターリングラードの攻防戦で
大敗北を喫したドイツ軍は、第2次世界大戦において以後劣勢に立たされ、
ヒトラーの野望はついえることになる。

やはり、やはり歴史は繰り返される・・・。


チャイコフスキー:1812年

チャイコフスキー:1812年

  • アーティスト: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,ベートーヴェン,チャイコフスキー,マゼール(ロリン)
  • 出版社/メーカー: ソニーレコード
  • 発売日: 1996/10/21
  • メディア: CD



叩く鍵盤、怒る指 [リポート]

20代の後半に新婚旅行で訪れたパリ。
名所旧跡をめぐりつつ、なぜか惹かれるものがあって、パリ20区の
ペールラシェーズ墓地へと足を運んだ。
社会学の祖オーギュスト=コント、エジプトの神聖文字を解読したシャンポリオン、
シャンソン歌手のエディット=ピアフ・・・。著名人の墓碑銘をたどりながら、静かに歩く。
その中にフレデリック=ショパンの名を見つけた。

「ピアノの詩人」ショパン。
父はフランス人、母はポーランド人。
生まれ故郷、祖国ポーランドは、18世紀末にロシア、プロイセン、オーストリアという周囲の強国に
結局3度にわたって分割され、地図上から消滅していた。

1789年、フランス革命勃発。
革命によって、自由・平等の旗がフランスから全ヨーロッパの人々の手へともたらされたが、
やがてナポレオン=ボナパルトが帝位につき、ヨーロッパはその支配下に入った。
ポーランドも一部ロシアから切り離され、ワルシャワ大公国としてフランス皇帝の従属国となる。
1814年、ナポレオン没落後に開かれたウィーン会議。
ポーランド王位はロシア皇帝のもとなり、再びロシアの支配に屈することとなる。
ショパンはその直前、1810年にワルシャワで誕生している。

「革命は人類の敵」と言い切るオーストリア宰相メッテルニヒを中心とした、列強の保守反動の
ウィーン体制が、ヨーロッパ各地の自由・平等・独立を求める民衆の運動を弾圧していた。
しかし、1830年、フランスで七月革命が勃発。
縦2.6m、横3.25mのドラクロワの『民衆を導く自由の女神』のドラマティックな画面のように
人々が立ち上がった。この動きは、オランダ統治下の南ネーデルラントをベルギーとして独立させ、
ドイツやイタリアでも民衆が蜂起。そしてポーランドでも火の手が上がった。
1830年のワルシャワ11月蜂起。市民と軍隊はロシア軍をいったん退け、臨時政府を樹立させたが、
翌年9月にはロシア軍の反攻によって武装蜂起は完全に鎮圧され、ワルシャワは占領された。

演奏旅行のため、故国をあとにし、ウィーン、そしてパリへと向かう旅の途上で、
ショパンはワルシャワ蜂起とその失敗の知らせを耳にする。
彼は政治的な主義主張は明確に持たなかったとされるが、ポーランドへの愛着と祖国の実情に
対する憂いだけは、誰よりも強くあったようだ。

もう引き返すことのできぬ道。
ロシアの軍靴に踏みにじられた祖国。焼け落ちた市街地に横たわる死体。
親しい者たちの気になる安否。自分の無力さ。ともに銃をとることができなかった後ろめたさ。
悲しみ。怒り。焦り。あきらめ。苦しみ。
さまざまな感情が、腕に、手首に、指先に、込められ、鍵盤を叩く。

練習曲第12番 ハ短調 『革命』 (「革命のエチュード」)

わずか3分足らずの曲だが、激しいパッセージの繰り返し。
20歳の若きピアニストが、祖国の革命失敗の絶望を動機として作曲したというのは、もはや伝説的。
ただ二度と祖国には戻ることのない、彼の39年の短くも激しい生涯を暗示させるような音にも、
またその後のポーランドの苦闘の歴史を象徴するような音にも聴こえる。

1849年、数多くの憂愁の調べを遺し、ショパンは永遠の眠りにつく。遺体はパリの
ペールラシェーズ墓地に埋葬されたが、彼の遺志により心臓だけがポーランドへ帰った。

ルーブル美術館では、やはりドラクロワの描いたショパンの肖像画も目にすることができる。
彼の視線の先にはポーランドの空があるのだろうか、それとも・・・。


別れの曲~小犬のワルツ/ショパン:名曲集

別れの曲~小犬のワルツ/ショパン:名曲集

  • アーティスト: ショパン,バレンボイム(ダニエル),ガヴリーロフ(アンドレイ),プレトニョフ(ミハイル),リヒテル(スヴャトスラフ),ブーニン(スタニスラフ),ルイサダ(ジャン=マルク),ティボーデ(ジャン=イヴ)
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2007/09/05
  • メディア: CD



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