歴史は繰り返す [リポート]
ベートーヴェンが捧げるはずであった献辞は、やはり失われる運命であったのか。
1804年、国民投票により34歳で皇帝となったナポレオン。
翌1805年のアウステルリッツの三帝会戦、さらに1806年のイエナ・アウエルシュテットの戦いで
オーストリア・ロシア・プロイセンを次々と撃破し、ほぼ西ヨーロッパ全域を支配下におく。
1806年にはイギリスの経済封鎖を狙って、イギリスと大陸諸国の通商を禁止するいわゆる
大陸封鎖令(ベルリン勅令)を発令。その勢威は頂点に達したかに見えたが、しかし・・・。
フランス革命の流血の中から手にした「自由」「平等」を守るため、そして諸国民を圧政から解放する
ための革命戦争は、いつしか皇帝ナポレオンの独裁権力による侵略戦争へと姿を変えていった。
1812年6月、大陸封鎖令に従わないロシアに対し、ナポレオンはおよそ60万人の大軍を率いて
ロシア遠征を敢行。ところが、ロシア側は巧妙に決戦を避けながら退却を繰り返し、ナポレオン軍を
領内に深く誘い込む。遠征軍はフランスと支配下諸国の混成部隊で統率も不完全であり、脱走兵も
相次いだ。9月のボロディノの戦いではロシア軍に決定的な打撃を与え、ついにモスクワを占領したが、
そこには火を放たれて廃墟となった街が残されていただけであった。
ロシアの焦土作戦で補給のできないナポレオン軍は、冬将軍の到来で飢えと寒さに悩まされ、
10月には退却を余儀なくされた。ロシア軍はこれを見て反攻を開始。農民ゲリラもナポレオン軍に
襲いかかった。12月にニーメン川を渡った時点でナポレオン軍は何と5000人に減っていたという。
この大敗北をきっかけとして、ナポレオンは没落の階段を転げ落ちる。
1813年のライプツィヒの戦い(諸国民戦争)で敗れたナポレオンは皇帝を退位し、
翌年エルバ島に流され、その野望は消え去った。
ロシアではナポレオンの遠征を、「1812年の祖国戦争」と呼ぶ。
この戦争は文豪トルストイの小説『戦争と平和』に描かれるとともに、国民的作曲家チャイコフスキーに
よって序曲『1812年』として音楽でも表現された。
華麗なオーケストレーション、戦闘を彷彿させる大砲の轟音、平和への祈りを象徴する聖歌や鐘の音、
民衆の声なき声を表す民謡の調べ。そして、フランス国歌『ラ=マルセイエーズ』とロシア国歌の旋律を
交互に強弱をつけて繰り返し、両軍の攻防を巧みに表現する・・・。
他国の侵略から国土を防衛した戦争の記憶。
チャイコフスキーは、五線譜の上で音符によってこれを再現した。
ナポレオンのロシア遠征からおよそ130年後。
1941年6月、独ソ不可侵条約を破って突如ドイツ軍がソ連領内に侵攻し、独ソ戦が始まる。
当初ドイツ軍の攻勢が圧倒的であったが、同年12月、冬将軍のためにドイツ軍の進撃が止まった。
(※第2次世界大戦の開戦以来、ヨーロッパを席巻したドイツ軍の進撃が初めてストップした時、
地球の裏側ではその同盟国が太平洋で戦争を開始した・・・)
1942年8月からその翌年の2月にかけて戦われた凄惨な市街戦、スターリングラードの攻防戦で
大敗北を喫したドイツ軍は、第2次世界大戦において以後劣勢に立たされ、
ヒトラーの野望はついえることになる。
やはり、やはり歴史は繰り返される・・・。
1804年、国民投票により34歳で皇帝となったナポレオン。
翌1805年のアウステルリッツの三帝会戦、さらに1806年のイエナ・アウエルシュテットの戦いで
オーストリア・ロシア・プロイセンを次々と撃破し、ほぼ西ヨーロッパ全域を支配下におく。
1806年にはイギリスの経済封鎖を狙って、イギリスと大陸諸国の通商を禁止するいわゆる
大陸封鎖令(ベルリン勅令)を発令。その勢威は頂点に達したかに見えたが、しかし・・・。
フランス革命の流血の中から手にした「自由」「平等」を守るため、そして諸国民を圧政から解放する
ための革命戦争は、いつしか皇帝ナポレオンの独裁権力による侵略戦争へと姿を変えていった。
1812年6月、大陸封鎖令に従わないロシアに対し、ナポレオンはおよそ60万人の大軍を率いて
ロシア遠征を敢行。ところが、ロシア側は巧妙に決戦を避けながら退却を繰り返し、ナポレオン軍を
領内に深く誘い込む。遠征軍はフランスと支配下諸国の混成部隊で統率も不完全であり、脱走兵も
相次いだ。9月のボロディノの戦いではロシア軍に決定的な打撃を与え、ついにモスクワを占領したが、
そこには火を放たれて廃墟となった街が残されていただけであった。
ロシアの焦土作戦で補給のできないナポレオン軍は、冬将軍の到来で飢えと寒さに悩まされ、
10月には退却を余儀なくされた。ロシア軍はこれを見て反攻を開始。農民ゲリラもナポレオン軍に
襲いかかった。12月にニーメン川を渡った時点でナポレオン軍は何と5000人に減っていたという。
この大敗北をきっかけとして、ナポレオンは没落の階段を転げ落ちる。
1813年のライプツィヒの戦い(諸国民戦争)で敗れたナポレオンは皇帝を退位し、
翌年エルバ島に流され、その野望は消え去った。
ロシアではナポレオンの遠征を、「1812年の祖国戦争」と呼ぶ。
この戦争は文豪トルストイの小説『戦争と平和』に描かれるとともに、国民的作曲家チャイコフスキーに
よって序曲『1812年』として音楽でも表現された。
華麗なオーケストレーション、戦闘を彷彿させる大砲の轟音、平和への祈りを象徴する聖歌や鐘の音、
民衆の声なき声を表す民謡の調べ。そして、フランス国歌『ラ=マルセイエーズ』とロシア国歌の旋律を
交互に強弱をつけて繰り返し、両軍の攻防を巧みに表現する・・・。
他国の侵略から国土を防衛した戦争の記憶。
チャイコフスキーは、五線譜の上で音符によってこれを再現した。
ナポレオンのロシア遠征からおよそ130年後。
1941年6月、独ソ不可侵条約を破って突如ドイツ軍がソ連領内に侵攻し、独ソ戦が始まる。
当初ドイツ軍の攻勢が圧倒的であったが、同年12月、冬将軍のためにドイツ軍の進撃が止まった。
(※第2次世界大戦の開戦以来、ヨーロッパを席巻したドイツ軍の進撃が初めてストップした時、
地球の裏側ではその同盟国が太平洋で戦争を開始した・・・)
1942年8月からその翌年の2月にかけて戦われた凄惨な市街戦、スターリングラードの攻防戦で
大敗北を喫したドイツ軍は、第2次世界大戦において以後劣勢に立たされ、
ヒトラーの野望はついえることになる。
やはり、やはり歴史は繰り返される・・・。