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世界は本当にひとつになれるのか・・・? [モノローグ]

昨年末、初めてベートーヴェンの交響曲第9番<合唱つき>をコンサートホールで
聴く機会がありました。
やはりさすがに”第9”でした。ベートーヴェンの渾身のシンフォニーだけあって、
第1楽章から指揮者とオケのつくりだす音世界に引き込まれました。
そして、第4楽章の「歓喜に寄せて」の合唱が始まると、文字どおり鳥肌が・・・。
ステージ上の演奏者のみならず、ホールの聴衆すべてが、ベートーヴェンの意志の赴く
空間に昇ってゆくような、そんな瞬間さえ覚えました。

バッハは教会のために、モーツァルトは貴族のために、そしてベートーヴェンは、
市民階級のために音楽をつくったと言われます。
折しも18世紀末、フランス革命が勃発、初めて身分制社会を否定し、自由と平等の旗を
掲げた激動の時代でした。
革命思想に共鳴した平民出身のベートーヴェンが、革命戦争に勝利したナポレオンのために
交響曲を作曲したものの、彼が皇帝に即位して独裁権力者になった報を聞き、その献辞を
破り捨てたのは有名な逸話です(・・・交響曲第3番<英雄>)。

ナポレオン没落後の1815年には、ヨーロッパをフランス革命以前の状態に戻すという
保守反動のウィーン体制がスタート。特にその牙城であるハプスブルク家支配の
オーストリアでは、皇帝の政治や旧来の社会を批判する分子は徹底して取り締まりの対象に
なりました。貴族に屈することなく、芸術家として独立した歩みを目指したベートーヴェンも、
当局の監視下におかれたようです。

時代が変わり、自らの重厚長大な芸術作品が民衆に受け入れられなくなるとともに、
音楽家にとって致命的な聴覚を失うことに苦悩するベートーヴェン。それでもなお、その脳裏には
革命の時代に人々によって歌われたシラーの詩「歓喜に寄せて」がありました。

<前略>
・・・・・・・・
そなたの力は再び結び合わせる
世の習いが厳しく分け隔てたものを
すべての人間が兄弟となる
そなたの柔らかな翼の憩うところ
・・・・・・・・
<後略>

交響曲にあえて声楽を付けるという彼の意図は何だったのか?
シラーの詩をかなり短く、しかも字句を変更してまで、使ったのはなぜか?
音符では伝えきれなかった、彼の心の底にあったものは?

人々を熱狂させ、高揚させ、一体感を紡ぐこの曲は、初演以来たびたび
祝祭や記念の式典で演奏されてきました。ドイツ民族を団結させるために
アドルフ=ヒトラーのナチスによって利用されたこともありました。
ベルリンの壁が崩壊した際には、レナード=バーンスタインによって、
「歓びよ・・・」を「自由よ・・・」と歌詞を変えてコンサートで演奏されました。
日本ではいつの頃からか、年末に”第9”を聴くことが年中行事のようになりました。
そのたびに、そこに集う人々は、この曲を聴いて気分を高揚させ、あたかも世界が
1つになれるかのような錯覚に浸ります。

人と人、人の心と心が、時々濃密に確かめ合わなければ意識できないほど、
私たちは徹底的に分け隔てられているのかと、逆に思わざるを得ません。



「歓喜に寄せて」の物語―シラーとベートーヴェンの『第九』

「歓喜に寄せて」の物語―シラーとベートーヴェンの『第九』

  • 作者: 矢羽々 崇
  • 出版社/メーカー: 現代書館
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 単行本


ベートーヴェン:交響曲第9番

ベートーヴェン:交響曲第9番

  • アーティスト: フルトヴェングラー(ウィルヘルム),ベートーヴェン,バイロイト祝祭管弦楽団
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2004/12/01
  • メディア: CD



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