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終わりなき歌 [リポート]

チリの「新しい歌」の歌い手、ビクトル・ハラは、コロンブス以後にこの大地に我がもの顔で
乗り込んできて、長く支配を続けている人間に対して、声を上げて訴えました。

いま、ぼくの求めているのは  子どもや兄弟たちと共に暮らすこと
時代の中でみんなでつくりあげていく春
ぼくは脅しにはおびえはしない
貧困の主よ  希望の星はこれからもぼくらのものなのだ・・・
『VIENTOS DEL PUEBLO (民衆の風)』<訳詞:八木啓代>

彼は弱き民衆にも力強く呼びかけました。

鉄条網を切れ!  鉄条網を切れ!
この土地は俺たちのもの
そして君のもの、あいつのもの
どこにでもいるペドロや  マリアやファンやホセのものだと・・・
『A DESALAMBRAR! (鉄条網を切れ!)』<訳詞:八木啓代> 

平和に生きる権利は決して誰にも消せないことを、海の向こうのヴェトナムの光景にも
重ね合わせて、叫びました。

ぼくらの歌は  純粋な愛の歌
鳩舎の野鳩、オリーブの畑のオリーブ
それは普遍的な歌  勝ちとらせる鎖
平和に生きる権利を
『EL DERECHO DE VIVIR EN PAZ (平和に生きる権利)』<訳詞:八木啓代> 

1973年9月11日、チリで軍事クーデタ勃発。アジェンデ大統領はラジオを通して
国民に団結と自由な社会の実現を訴えるが、爆撃のさなか死亡。
翌日逮捕され、チリ・スタジアムに連行されたビクトル・ハラは、人々を勇気づけるために
人民連合賛歌である『ベンセレーモス』を歌うが、怒った軍人たちによってギターを
弾けぬように手を撃ち抜かれ、そして背後から機関銃で撃ち殺された。35歳。

働く貧しい人々の側に常に立った「新しい歌」の歌い手は、
同月18日に死体置場で無惨な姿で発見されました。

禁じられた歌―ビクトル・ハラはなぜ死んだか

禁じられた歌―ビクトル・ハラはなぜ死んだか

  • 作者: 八木 啓代
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 1991/05
  • メディア: 単行本


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